北北西に進路を取れ

1996/04/24 銀座文化劇場
まき込まれ型スリラー映画の古典。スリルとユーモアに満ちた傑作。
「広告屋は嘘をつかない。ただし誇張する」は真実の台詞。by K. Hattori



 ソール・バスのモダンなタイトルデザインも秀逸。この時流れるテーマ曲がその後も繰り返し使われ、物語の緊張感をあおる。タイトル部分のシャープでタイトなイメージは、この映画全編に通じるイメージでもあります。人物の造形や配置にも無理や無駄が全く見られず、謎解きミステリーとしての醍醐味と、映画ならではのサスペンス、スリルなどが見事にブレンドされている。何よりこの映画を傑作にしているのは、しゃれた台詞とユーモアのセンスがほどよく案配され、絶妙の味わいを生み出している点。これはもう名人芸です。

 ぎりぎりまで緊迫した場面でユーモアを挿入するのは娯楽映画によくある手法だけど、失敗するとこれほど無様なものはない。登場人物の台詞がひどく場違いなものになってしまったり、その場面から緊張感が抜けて映画全体が台無しになることもある。だからこそユーモアにはセンスが必要で、それを軽妙洒脱に見せようとすればするほど、演出する側には人並み以上の技量と経験と感性が要求される。

 この映画は全編がスリルとユーモアの混合物と言ってよく、これだけのものを若い監督が任されたら、演出プランに悩み抜いて自殺しかねない。(あるいは出来上がった映画のひどさに絶望した観客が自殺しかねない。)出来てしまった映画からそんな苦労を微塵も感じさせないのが名人の名人たるゆえんで、ヒッチコックの演出には余裕さえ見えるではないか。

 謎解きミステリーはあまり映画に向くジャンルとは思えないのだが、この映画では謎が謎として観客に周知徹底されるや、すぐさま手の内を明かして次の謎を提示する連続攻勢。息つく間もなく次々に現れる謎また謎。主人公がその実体に迫ったと見せるや、謎の実体はするりと逃げて行く。最初に謎だったものは途中で全て種が明かされ、そこからまた新しい謎が生まれるのだから手が込んでいる。

 冷戦時代に東西両陣営で行われていた諜報戦に、一般市民である主人公が巻き込まれるという物語だが、事件に巻き込まれる発端は見事に作られていてまるで手品のよう。それにしてもあの時主人公が席を立った理由が電話でよかった。もし「二日酔いで吐きそう」とか「食べたものが悪かったらしく腸がでんぐり返りをしている」などの理由でトイレに立ったところを拉致されていたらと考えると、それだけで恐ろしい……。

 主人公が殺し屋の手を逃れて自動車を暴走させる場面は、主演のケイリー・グラントが『汚名』と『泥棒成金』で暴走自動車の助手席に乗っていたことを知っているからニヤニヤして見ていられる。さんざん女たちの無謀運転につき合ったあげく、ついに自分で運転するに至ったわけね。初めて自分でハンドルが握れて、どうりでイキイキしてるわけです。


ホームページ
ホームページへ