ニクソン

1996/03/10 丸の内ルーブル
『JFK』と同じ世界観を共有するオリバー・ストーンの政治ドラマ。
監督本人がどの程度本気なのか疑問だらけ。by K. Hattori


 リチャード・ニクソンは僕が子供の頃のアメリカ大統領で、日本の佐藤栄作や田中角栄、ソ連のブレジネフと共に「気がついたらそこにいた」人物。僕にとって同時代の人ではあるけれど、自分自身が世の中にコミットし始める以前の話だから、先入観もない代わりに興味もない。僕はロッキード事件にだって興味がないんだから、ウォーターゲート事件なんてまさしく海の向こうのお話。言葉として聞き知っている程度で、中身がどういうものだかという予備知識が皆無なのです。この映画はニクソンと彼をとりまく世界情勢、ウォーターゲート事件やその後のニクソンの去就問題などにある程度の知識がないと、話の展開についてゆけないと思う。少なくとも僕はついてゆけなかった。

 映画の冒頭で「これは事実と憶測に基づくフィクションである」という但し書きが出るくらいだから、内容をまるっきり史実だと考えてしまうのは大いに危険。巻頭に福音書の引用を持ってくるあたりからして、例えばシェイクスピアの史劇みたいに、歴史の流れの中での個人の悲劇を描きたかったのかなと一瞬思いもした。それならそれで歴史上の人物のひとつの素材なんだから、作家は自由にその人物を動かせばよろしい。身内や遺族にはたまったものではないが、世は言論の自由である。我慢できなければ制作者を訴えればよい。事実この映画の制作者たちは遺族から厳重に抗議されている。

 ただこの場合問題になるのは、この映画を作ったのがオリバー・ストーンだということだろう。ストーン監督は大統領リチャード・ニクソンと全く同時代を生きた人だから、シェイクスピアがローマの偉人たちを描いたようにはニクソンを引いた目で見られない。シェイクスピアが裏切り者ジュリアス・シーザーの心中を描ききったように、ストーンはニクソンの心中を描き切れただろうか。答えは否である。この映画は結局、普遍的な人間ドラマに昇華し切れていない。「アメリカの政治は右翼とマフィアと軍産複合体に牛耳られていて、それに反対した政治家は暗殺される」という、『JFK』以来一貫したアメリカ社会に対する陰謀史観が濃厚すぎる。いささか被害妄想気味にすら思えるのだ。

 しかし考えてみれば、『JFK』という映画もおかしな映画だった。あれはケネディ暗殺をきっかけに、その背後にうごめくアメリカ暗部の奥深さを白日にさらそうという、ストーンの並々ならぬ意欲がうかがわれる異常な力作だ。今回の『ニクソン』を『JFK』の続編と考えると、この映画は案外面白いかも知れない。

 それにしても、ストーン自身は自分の唱えるアメリカ陰謀史をどこまで信じているんだろうか?


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