不知火検校

1996/01/15 文芸坐2
勝新演ずる不知火検校が人を殺し女を犯しながら出世階段を駆け登る。
笑顔の裏側にある凄味を勝新が熱演する傑作。by K. Hattori


 勝新演ずる按摩杉の市のふてぶてしい悪党ぶりが痛快なピカレスク時代劇。少年時代に祭りの酒をせしめたり、商家の若旦那から1両巻き上げるくだりでしたたかな狡賢さの片鱗を見せるが、ここから時代が一気に下り、勝新が画面に登場するようになってから俄然画面は緊迫する。師匠の使いに出された街道沿いの道ばたで、病に苦しむ旅人を治療めかして殺し、金を奪うあたりは天下一品の芸である。無邪気な善意に見えたものが、一瞬にして殺意にすり変わる様子は凄味と説得力がある。

 この後杉の市は盗人の一味と組んで師匠夫婦を殺し、自らが跡目を継いで検校の位にまで上り詰めるのだが、物語としてはそれ以前、彼が不知火検校になる前までが抜群に面白い。検校になって経済的な欲望を満たした杉の市の新たな欲望の行方が、権威や権力、江戸一番の美女を己のものにすることではあまりにも詰まらないのだ。この話はこの話で完成されているし十分に面白いのだが、何しろ僕らは自分たちと同時代に杉の市以上のことをしてのけた悪党をよく見知っているからね。

 その男は盲学校を出たあと鍼灸師になり、インチキな薬を販売して病人から金を巻き上げたり、ヨガの道場を開いたりしていたそうな。やがて新興宗教の教祖様になって、教団の中で女を囲い、気にくわない者たちを次々に殺し、挙げ句の果てにラッシュで込み合う地下鉄に毒ガスを撒いて回ったのは、まさに不知火検校こと杉の市の行為をスケールアップしたものに他ならない。面白いじゃないか。麻原彰晃やオウムを分析するには、『宇宙戦艦ヤマト』より『不知火検校』を見た方がよくわかる。

 捕り方に囲まれ仲間が次々に捕まっている時でさえ、なお「私は何も知らん」「私は何もやってない」「私を誰だと思っている」と言い続ける不知火検校の悪あがきぶりは、教団施設の一室から「捜査当局のでっちあげ」「わ〜た〜しはやってない♪」と言い続けた麻原彰晃とオーバーラップしてしまうのです。ここに来て僕は、世紀の悪党と呼ばれる麻原彰晃に何のオリジナルもないことを悟りました。麻原彰晃は現代に甦った杉の市の成れの果てです。

 かつては衝撃的であったろう『不知火検校』も、オウム事件を知った後ではなんら驚くような映画ではなくなっている。これは『荒野の七人』の後で『七人の侍』を観た人が感じる感動と同じで、凄いものだってことが頭では理解できるんだけど、体が震えるほどの感動はないという意味。

 描かれているテーマは新鮮味を失ったが、映画のディテールは今でも輝きを失っていない。中でも勝新の芝居は、観る者に今でも強烈な印象を与えるはずだ。なんにせよ、素晴らしい役者です。


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