コンゴ

1995/11/16 丸の内ピカデリー1
派手なのは原作者マイケル・クライトンの名前だけ。
予告編はすごく面白いのに本編はカス。by K. Hattori



 世の中には予告編の方が本編より面白い映画というのが多数存在するが、この映画もそんな「予告編ワクワク・本編ガッカリ型映画」のひとつ。古典的な冒険映画から最新のハイテク装置まで欲張りに欲張って詰め込んだあげく、どれもが中途半端に終わってしまっているのが残念。おそらく原作では各人物たちの行動の動機づけが十分に行われているのだろうが、映画では人物の描き方が表面的で淡泊すぎる。各人が各様の目的を持って一カ所に集まったからこそ生まれるドラマが、ここには希薄だ。

 イントロ部分がやたらと説明的なのが気になった。このストーリー展開なら、最初から登場人物たちをアフリカに放り込んで、その後からそれぞれの動機説明ができたはず。各人の動機説明など、それぞれ1分ずつの台詞で事足りる。全編見せ場の連続を狙った脚本なのだろうが、それらがことごとく上滑りになって行く様子は無惨の一語。ハイテク装備も手話を使うゴリラも古代史の謎もアフリカの密林探検も、それぞれ料理次第ではじつに魅力的になりそうな素材であるにも関わらず、全部が物語になんの貢献もしていないのはほとんど謎である。

 見せ場満載の冒険映画にハイテク味をトッピングするはずが、トッピングばかりが目立って、本来の冒険映画になっていない。脚本と演出がバラバラで、本来意図されている役割をそれぞれが果たしていないのだ。ジェットコースターのように目のくらむ速度で疾走しなければならない物語なのに、これでは各駅停車の鈍行列車の旅ではないか。

 結局、物語が決定的に弱いのだ。各人の思惑が一点に集中して行かない。全員がダイヤ目的の方がまだすっきりとまとまるじゃないか。なぜこの人はこうまでしたここにいるのだろうかと、疑念にを感じることしばし。そもそもこの映画から彼女の元恋人に対する想いとか、会社社長と元恋人が実の親子だとか、そいういうエロスの匂いを感じることができないのです。父親である社長は最初から行方不明の息子になんて興味がなさそうにしか見えないから、映画の最後で彼女が「裏切ったわね、許さないわ」という理由がわからない。そんなの最初からわかっていたことだもの。元恋人というのが微妙なところで、最初に衛星通信を介して話をするところでも、僕は二人の間に何も温かいものを感じなかったんですけどね。こうした人間関係をただ台詞だけで説明されても、観ている方はぜんぜ納得なんてできないのです。もっと仕掛けが必要でした。

 手話でコミュニケーションするゴリラの話は、すでに『ケイティ』という映画で取り上げられていたため目新しさはない。この映画の場合、このゴリ
ラが登場しなくても物語が成立してしまうような部分があることの方が気になる。


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