水の中の八月

1995/10/10 PARCO Space Part3
前半から中盤にかけての雰囲気がとてもいいのだが、
終盤は単なる絵解きになってしまったのが残念。by K. Hattori



 ファンタジックなSF風の物語という以前に、青春ドラマとして見応えのある映画だった。前半と後半で全然おもむきが違うのだけれど、この映画は断然前半が素晴らしい。後半でも前半と同じみずみずしい描写が続くのだが、やや重たい物語に足を引っ張られているような気もする。物語自体は、例えば星野之宣とか諸星大二郎のSFマンガを彷彿とさせるものがあるが、ここには物語の仕掛けでびっくりさせてやろうという意図がまったく見られない。だから、この映画は本当の意味でSFではないのだろう。遺跡とか、石化病とか、占いとか、テレパシーとか、そんなものはこの物語の味付けになっているだけ。ただ、ここまで執拗にこうしたアイテムを詰め込んだということは、本来はSFがやりたかったのかもしれない。いずれにせよ、これはSFというより、マンガ日本昔話的な懐かしさを感じさせる、極上のファンタジーです。

 プールの中に少女が飛び込む様子を、水中からとらえた冒頭のショットは素晴らしい。これひとつで、僕は物語にまんまと引き込まれました。この映画は映像的にかなり印象的なシーンが多く、例えばそれは祭の様子を真俯瞰から捉えたシーンだったり、飛び込みの競技会で次々ジャンプする選手たちをとらえた映像だったりするわけです。随所に挿入される、人々がばたばたと倒れ込む絵も印象に残ります。こういう絵作りは、作り手のセンスを感じさせます。適度な緊張感と、弛緩した空気のバランスが心地よく、独特のテンポで進行して行く物語が、素材の非日常性を包み込んで、じつに自然な流れを作り出しているのですね。

 前半からは一転して、物語の後半は、まさに今風の味付けをしたおとぎ話。物語が大きく動き始めるのは、この後半になってから。後半のファンタジックな展開がなければ、この映画の印象は今とはまったく違うものになっていたはずです。そうした意味でも、事故以降の物語はこの映画の顔になっている部分。前半から徐々に高まっていた緊張感が最高潮に達し、ピリピリと張りつめて行く様子はスリリングです。すべての事象が一点に収束して行く緊迫感は、少女の消滅で思いがけず巨大な喪失感へと変化します。出会いと別れの切なさこそが、この映画の命です。運命に引き裂かれる悲恋物語の枠を守りながら、その中にきちんと今の若者の姿を定着させているところがよいのですねぇ。

 出演している若い俳優たちの顔がよい。今後が楽しみな人たちばかりです。中でも、飛び込みの選手を演じた小嶺麗奈は素晴らしかった。競技会の場面で見せる彼女の表情など、若々しいエネルギーと自信に満ちあふれている。彼女なしのこの映画が考えられないほどです。注目しとこ……。


ホームページ
ホームページへ