恋する惑星

1995/09/26 銀座テアトル西友
香港映画をオシャレなデート向き映画に変貌させた話題作。
確かに映像センスなどにオリジナルを感じさせる。by K. Hattori



 公開直後は劇場が立ち見の客で立錐の余地もなくなったという、近頃評判の人気映画。そろそろ空いた頃かと思って劇場に行ったら、まだそこそこの客が入っていた。客の7割が若い女性。でも、映画の中身以上に客が入っていると感じたのは、まさか僕だけではあるまい。内容的にはどちらかというと地味な映画にも関わらず、ここまで混むのは映画の力と言うより宣伝の賜物だ……、なんて批判めいた口をききながら、僕も嬉々として映画を観ているのだからしょうがない。

 映画としては下手な大作のような手抜きもないし、全体に丁寧に作った好感の持てる作品です。『恋する惑星』という日本語タイトルもよかった。限定した空間を舞台にしながら、その背景にある大きな世界を感じさせる映画でした。これは、各登場人物の描き方がうまいのでしょうね。

 映画は大きな時間の流れの中から、ほんのちっぽけな時間を切り取ることしかできない。けれど、その切り取った時間の連続が、隠れている別の時間の流れも感じさせる。当たり前と言えば当たり前のことだけど、ヘタな人がそれをやると、映画はすぐにバラバラになってしまうんですよね。映画の中の時間は、すごく脆いものなのです。 こんなに気持ちよく時間が流れて行く映画は、久しぶりだったかもしれません。ウォン・カーウァイというこの映画の監督は、まるで呼吸するような自然さで、時間を切り刻むという繊細な作業をやってのける。その切り口はあくまでもシャープでなめらか。これが才能なんでしょうねぇ。

 謎の女ブリジット・リンと犯罪捜査官カネシロ・タケシのエピソードと、下町のファーストフード店で働く少女フェイ・ウォンと常連客の警官トニー・レオンのエピソードが、まったくかみ合うことなく平行しているのもいい。一粒で二度おいしい、グリコのオマケみたいなものですね。

 本筋はフェイ・ウォンのエピソードなんでしょうが、これはついこの間観た『恋人たちのアパルトマン』の逆パターンだな。あの映画では男が女を追いかけて、ガラス越しに隣の部屋に陣取るのだけれど、この映画では女の子が合い鍵を使って部屋の中に侵入してくるのだ。やっぱり女性の方が積極的だなぁ。(ま、男が合い鍵で女の部屋に忍び込んだら、ぜんぜん別の映画になってしまうけどね。)

 モノローグや独り言が多くてそれが面白い映画なんだけど、しゃべるのはほとんど男なんだよね。カネシロ・タケシのモノローグや、タオルに話しかけるトニー・レオン。比べて女は、黙って行動あるのみです。映画では最後まで、行動を選択するのは女の側。男がやたらと受身な映画だったなぁ。そんなところが、今風なんでしょうね。


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