EAST MEETS WEST

1995/09/10 丸の内松竹
岡本喜八監督がアメリカ人スタッフに振り回されている様子が見える。
ひとつひとつのカットが荒っぽくて見るに耐えない。by K. Hattori



 この監督、このキャスティング、このアイディアとプロットで、なんでこんな映画になってしまったのかが疑問。『大誘拐』以来久々の岡本喜八映画が監督念願の西部劇、主演が真田広之と聞けば、期待は否が応でも高まろうというもの。思えば『大誘拐』は映画ファンの評判は良かったものの、その後岡本監督が数年の間映画を撮れなかったことを考えると、どうやら興行的には成功と言えなかったらしい。そんな岡本監督を松竹が引っ張っての今回の映画。最後のチャンバラ映画スター、真田広之が西部の荒くれガンマンを向こうに回して日本刀でばさばさと斬りまくるとなれば、黒澤の『用心棒』的な活劇を期待してしまうではないか。岡本監督は日中戦争を舞台にして、『独立愚連隊』シリーズという痛快活劇を撮った監督だもんね。

 映画は工業製品ではないから、同じ制作者が同じ意気込みで映画を作っても、結果に出来不出来があるのはしょうがない。でも、今回のこれはいくらなんでもひどい。全体から受ける印象がひどく雑で粗っぽいのだ。ストーリー展開にやや強引で性急なところが見られるが、これは演出のリズムやテンポでどうとでもなる範囲。しかし、リズムやテンポがちぐはぐなので、物語の強引さや性急さがひどく気になる仕上がりになってしまっている。特に、主人公たちがアメリカに渡り、現地の役者たちと芝居をはじめるともうダメだ。役者同士の芝居が全然かみ合っていない。光線が平板に回った陰影のない絵作りもあって、まるきりの素人芝居に見えてしまう。真田や竹中が異境の地でいくらがんばっても、これではしょうがない。

 この映画は、エピソードとエピソードをつなぐ部分が弱い。シーンの切れ目でほんの数行の台詞があったり、ほんのワンカットの映像が入るだけで、全体の印象はもっとまとまりのある物になったはずだ。今ある映画は、人物の出し入れがぎくしゃくしてぎこちない。教師と教え子たちのエピソードも本筋から浮いているし、インディアンたちのエピソードも描き足りていない。アイディアが消化されないままぶち込まれているだけで、作品として磨かれていない。エピソードはどれも、どこかで見たり聞いたりしたような物ばかりだが、それも磨けば光るんだけどなぁ。(最近のアメリカ映画なんて、そんなのばかりだもんね。)

 シンプルな物語のはずなのに、欲張っていろいろやったあげく、作品としてまとまらなかった映画です。だいたい、この映画の主人公は誰なんでしょう。明確な主人公不在で、群衆劇としてもまとまりがないのは致命的と言わざるを得ません。これは、編集の時間が足りなかったとか、そんな言い訳では取り繕いようのない事実です。


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