ロブ・ロイ
ロマンに生きた男

1995/08/10 銀座シネパトス2
へんに生々しい描写が観ている者の興をそぐことしばし。
生理的に受け付けない描写が多い。by K. Hattori



 物語の筋立ては任侠映画と同じです。同じですが、この映画には任侠映画が持っている美意識が欠落している。それが最大の欠点であり、この映画を徹底的にダメにしている点なのですね。古風な筋立ての物語の細部を、非常にリアルな造形で見せてくれているのだけれど、リアルにすれば面白い映画になるかと言えば、決してそんなことはないわけです。こういう物語には、どこかに明確な絵空事の部分がないと、観客はカタルシスを感じられない。誠実に、一生懸命リアルに作ろうとして、結局は全部をダメにしてしまった映画です。

 主人公のロブ・ロイは、自分の信念を貫くために、家族を犠牲にし、自分を慕って集まっている人々を不幸にしてしまう。彼の信念が、彼の属する集団の中で普遍的な共通の信念でない限り、彼の行動の犠牲になってしまった人々は浮かばれないのではないだろうか。物語の筋立ては彼の信念の拠り所や、彼の行動の動機、周囲の人々の気持ちの動きをそれなりに説明しているのだが、それらは映画を埋め尽くすガラクタのようなエピソードの数々に押しつぶされて、結局は太い骨格になっていない。細かなことはどうでもいいのです。枝葉に埋もれて幹が見えてこないと、この映画は面白くない。もっと単純に作った方が、この映画は面白くなったはずなんだ。

 とにかく、リアルに本物らしく作れば作るほど、この映画の不快感は増すばかりです。どこが不快だったといちいち上げればきりがないんだけど、例えば、主人公の家が襲撃されるシーンの直前に、この映画はジェシカ・ラングにおしっこをさせている。これって、必要あるのかと僕は問いたい。朝もやを突いて襲撃隊の船がぬっと現れる印象的なシーンに、おしっこはあまりに場違いでしょう。ラングがレイプされた後、湖で自分の身体をざぶざぶ洗うシーンも、あまりにもあからさますぎて逆に悲壮感を削いでしまっている。あそこは具体的に彼女の手の動きまで映像で見せる必要は全くない。ないにも関わらず、それを映像で見せることがリアリティだと勘違いしている監督のセンスを疑う。

 悪役カニンガムの不幸な生い立ちや、彼のトラウマをクローズアップするのも疑問。これはさらりと流してしまうべきです。生い立ちがどうあれ、カニンガムが同情の余地のない悪役であることは間違いがない。ならば、同情しろと言わんばかりのエピソードは慎むべきでしょう。母親の肖像画をながめたりするのは、やめさせてほしい。

 最後の決闘の場面も、僕にはうんざりした気分だけが残る。ロブ・ロイがカニンガムをぶった斬ると、刃物が骨を断ち切るザリーンという音がするんだよね。で、カメラはご丁寧にも切り裂かれた傷口を生々しく写し出す。いい加減にしてくれ。


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