ケイティ

1995/07/15 ニュー東宝シネマ1
手話で人間とコミュニケーションするゴリラの物語。
ゴリラがいかにもぬいぐるみなんだよなぁ。by K. Hattori



 この映画って、製作にフジテレビがかかわっているんですね。これでテレビスポットの量に納得ができた。しかし、映画のできには納得ができない。なんだこれは。お子さま映画にしても、もう少し何とかなるんじゃないのか。素材は面白いんだから、脚本にもうひとひねり欲しいところだな。映画のテーマに明確なコンセプトがない。

 とにかく脚本の構成に難がある。物語は全体で4つのパートに別れていて、少年とゴリラとの出会い、少年とゴリラの逃避行、裁判、少年とゴリラの別れが、順番に数珠つなぎになっている。物語の流れとしてはオーソドックスなものだが、これを映画にするなら、要はこれらのどの部分を膨らませ、映画的な〈山場〉にするかが問題になるだろう。出来上がった映画は最初から最後まで、ただこの物語をなぞるだけで、どこにもクライマックスがない。観ている方としては、それがすごく欲求不満なのだ。

 少年とゴリラがコミュニケーションをはじめ、心が通いあったと互いに確認できるところがまず第一の山になるはずなのだが、このあたりがスルリと抜け落ちている。結果として、その後に続く逃避行の動機が弱くなってしまった。逃避行の最中、主人公の少年はゴリラが手に負えなくなってきて弱音を吐くのだが、これも前半の心の交流がきちんと描かれていないから、僕のような意地悪な観客に言わせれば「身から出た錆」なのである。
 主人公とガールフレンドとの関係も弱いし、ガールフレンドの人物造形もぐにゃぐにゃ。彼女のキャラクターがもっと立ってくると、物語全体に厚みが出たと思うんだけどなぁ。裁判の後にふたりがキスするのはお約束だが、これがいささか唐突に見えてしまうのはやはり難点だと思う。

 逃避行の間のドタバタも、もっと色彩感のあるものにしてほしかった。ただ無駄に時間が流れてしまって、もったいないなぁ。このあたりはロードムービーの定石をふまえ、様々な事件を通して互いの理解が進む課程をきちんと描いてくれなくちゃ困るんだよね。ハンバーガーショップのシーンも、ボートの登場もとってつけたようだし、白々しくさえ感じる。ゴリラが病気になるというエピソードも、あってもなくても一緒だよ、これじゃ。アイディア玩具の行商をしているおじさんの話は面白かったけど、最低でもこのぐらいのエピソードが次々に登場してくれないとなぁ。裁判シーンが好きなアメリカ映画だけど、この映画の裁判シーンはいただけないな。

 コメディ映画を作りたいのか、シリアスな動物映画を作りたいのか、まったく理解に苦しむ中途半端さ。作ったギャグが次々にコケてゆく白々とした空気が全編に満ち満ちていて、観ているこちらは寒々としてくる。素材におぼれて失敗した例でしょうね。


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