他人のそら似

1995/05/23
ミシェル・ブランがフランス映画界の裏側を舞台に描く、
ちょっと毒のきいたコメディ映画。by K. Hattori


 映画のありとあらゆる要素が詰め込まれた欲張りな映画であるにも関わらず、それらを整然とまとめあげている脚本の見事さ。サイコミステリー風の導入部、謎解き、追跡、そして事態は核心へ。新たな出会い、奇跡の出現、どんでん返し、最後は映画に対する愛で終わる。壮絶なカーチェイスあり、宝石店強盗あり、刑務所でのレイプあり。それでもこの映画は、まず極上のコメディーなのである。全編を貫く乾いた笑い。華やかな映画界の裏側を舞台にした物語でありながら、どこか覚めた視線を感じるのは、ラストに描かれた映画界の実体を監督自身痛感しているからに他ならないだろう。アメリカ映画に席巻されているのは日本映画界だけではない。

 長身の美女キャロル・ブーケと小男のはげ頭ミシェル・ブランの組み合わせが、それだけで面白い。このおかしさは、ブーケがブランに向けて拳銃をぶっ放すシーンでなぜか頂点に達する。小男ではげ頭というと、アメリカ映画だとダニー・デビートってことになるんだろうけど、ミシェル・ブランはデビートみたいに男の匂いがプンプンって感じじゃなくて、基本的にはヤサ男なんだよね。目なんかぱっちりしてて、なかなかチャーミングなのだ。どこか中性的な雰囲気もあって、刑務所の中で古参の囚人たちに可愛がられてしまうのも無理がないかなぁ、なんて思ったりする僕ってヘンかしら?

 ま、それはそれとして、結局この映画におけるミシェル・ブランの面白さって、ごく普通の何でもなく見える男が、じつは内面に熱くたぎるものを秘めていて、それが時々外側にあらわになる部分にあったりするわけです。だからこそ、彼が自分の記憶のない行動について、まず自分自身の精神状態を疑ってかかるのも納得がいく。他の俳優じゃ、最初から別人の存在を疑うのがスジだろう、ということになるでしょうからね。

 おとなしそうに見えて、実は過度に神経質。しばしば周囲に辛辣な口を利くが、その毒舌は自分自身にも向かう。そんなキャラクターなんだよね。この映画における〈ミシェル・ブラン〉が、実際のミシェル・ブランとどの程度オーバーラップするものなのか、そのあたりはさだかではないけれどね。
 そうそう、彼がブーケの別荘についたとたん、こんなところでコメディが書けるかと悪態をついたりしますが、あの台詞は効いていたなぁ。あまりにも立派な別荘とあの台詞はミスマッチなんだけど、確かにあの環境でコメディは書けないような気もする。

 ラストシーンは映画好きにはこたえられないですよね。こんな具合にに、なんでもない風情で映画に対する愛を告白されてしまうと、映画を見ているこちらは最初戸惑い、うろたえ、ついにはホロリと涙の一粒もこぼし、最後はニヤニヤしてしまうのです。


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