江戸川乱歩全集
恐怖奇形人間

1995/05/07 大井武蔵野館
石井輝男が江戸川乱歩の世界を描くカルトムービー。
ラストシーンでは観客の爆笑で映画館が震えた。by K. Hattori



 おそらくはこの映画目当てと思われる観客で大井武蔵野館が通路までぎっしりになったという、噂のカルトムービーを私は観た! もっと毒々しいものを期待していたんだけど、『徳川いれずみ師・責め地獄』の後では、どんな映画も生ぬるく思える。ただし、この『江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間』は比較的脚本がまともにできていて、描写のおどろおどろしさに比べると、普通の観客には取っつきやすいかもしれません。ああ、2日連続で石井輝男の映画を5本も観たことで、僕はすっかり〈普通の観客〉ではなくなってしまいました。

 父親役の土方巽が、力の入った熱演ぶりで観客の笑いを誘います。彼が力めば力むほどおかしい。でも、この映画のシュールな雰囲気に一番マッチしているのは彼ですし、無人島を奇形人間で埋めつくそうという歪んだ野望も、彼のねじくれた動作と、のどの奥から絞り出すような声があってはじめて納得のいくものになっているのです。まるっきりマンガそのもののこの映画を、単なるマンガ以上のものに昇華させている土方はすごいなぁ。また、その演技を受けとめて、フィルムに定着させている石井輝男監督も負けずにすごい。土方が白い振り袖状の特異な衣装で登場し、濡れそぼりながら海岸をフラフラと走り回り、岩の上で野獣のように咆哮するシーンを、ごていねいに2度繰り返すあたりに、この作品における土方の位置が象徴的に現れていると思う。

 自らのコンプレックスのために、健康な人間に外科手術を施し、あえて奇形にするというアイディア。精神病院の狂女たち。サーカスと人さらい。大正時代のモダニズムが香る、独特の乱歩ワールド。そこは歪んだディストピアであると同時に、人間の欲望と情念が解放される、一種のユートピアでもある。

 舞台が東京から裏日本の旧家に移動し、さらに孤島へと場を移すと、そこに創り出されている情念のエネルギーと行き場のないエロチズムに、空間そのものが歪んでしまうようなパワーを感じる。そこでは異常なものこそが美しく、美しいものこそが最も醜い存在なのだ。人肉食(間接的ではあるが)や近親相姦というタブーでさえ、そこでは崇高な行為に思えてしまう。暗い洞窟の中で凝縮して行く、登場人物たちの感情の澱は、かえってそこにひとつの閉じた宇宙を感じさせ、閉鎖された完全性を生み出す。

 突然登場する明智小五郎は、そんな秩序を破壊する邪魔者でしかない。この空間の中では、明智の存在こそが最も場違いで異質なのだ。観客が明智の登場で爆笑するのは、そんな理由もあるに違いない。

 「おかあさ〜ん」の連呼とともに打ちあがる花火に、館内は再び揺れんばかりの爆笑に包まれる。全編見世物小屋感覚いっぱい。こんなに観た人を幸せにしてくれる映画は、そうそうありません。



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