天井桟敷の人々

1995/03/23 銀座テアトル西友
疲れていたのか映画の途中で少し寝てしまったが、
それでもこの映画が傑作だと断言できる。by K. Hattori


 モノクロ・スタンダードの画面に繰り広げられる、人間の愛と嫉妬と憎悪の物語。寝不足がたたって3時間の上映時間中、たぶん1時間弱はうとうとしていたのだが、終盤は眠気も吹き飛ぶ重厚な人間ドラマに身震いするほどだった。ぜひとも、体調のいいときにもう一度観たい映画だ。今度は寝ないぞ!

 パリ下町の盛り場を舞台に、芸人や役者、怪しげな見せ物小屋、さらにその狭間でうごめく悪党どもを登場人物に仕立てた物語だが、各人物の役回りや描写も過不足なく、長い上映時間にもかかわらずシンプルですっきりとした印象の映画になっている。まぁ、途中で幾度か前後不覚になっている僕なので、意識不明の重体だった瞬間に、どうしようもなくだらけきった展開になっている可能性がなくはない。しかし、少なくとも目が覚めていた時に確認できた範囲から判断するに、そうした間の抜けた部分のない映画だと想像する。まったく、こんな素晴らしい映画で居眠りするなど、かえすがえすも残念だ。

 狭い通りにびっしりと劇場や小屋がならび、人々でごった返す冒頭のシーン。たぶん最盛期の浅草はこんな雰囲気だったに違いない。今は失われてしまったものの、どこか懐かしい風景ですね。洋の東西を問わず、盛り場の光景は同じなんでしょう。山田洋次の『キネマの天地』は、ラストが浅草六区の映画街で締めくくられるけれど、ちょうど同じような、活気にあふれる人混みでした。

 映画は人間の残酷さを克明にあぶり出します。愛情の裏側にある、羨望、嫉妬、憎悪など、人間の暗い感情のひだが克明に描写されます。登場人物の全てが、善と悪の二面性を持っていることが、じつに丁寧に描かれている。ただし、この場合の〈悪〉は、人間が持っている原罪のようなものですね。自分では押し止めようのない感情と、先にある結末を予期しながらも、感情を抑制できない弱さ。人間はろくでなしで愚かな存在です。自分でそのつもりがなくても、得てして身近な人を傷つけてしまう。「あの二人は決闘します。でも、今宵は二人のもの」みたいな台詞があるんだけど、このあまりの自己中心性、身勝手、他人を顧みない酷薄さったらありません。

 全編ぴりぴりと張りつめた、役者同士の芝居の応酬。特撮全盛の最近の映画を見慣れているせいか、非情に新鮮で面白い。芝居の世界を舞台にした物語だけれど、映画自体の作りもお芝居を踏襲しています。緞帳がするすると上がって物語が始まり、幕が下りて第一部終了、また幕が上がると数年の時間がたっており、最後はまたゆっくりと幕が下りて終わる。この映画のタイトルは映画の内容ではなく、映画を観ている観客をさしているかのような構成です。

 それにしても、劇中劇で演じられる無言劇は、映画と同じぐらい見事でした。すごい舞台です。


ホームページ
ホームページへ