河童

1995/01/18 松竹セントラル2
米米クラブのボーカリストでもある石井竜也の映画監督デビュー作。
どうせ素人監督とタカをくくると嬉しい不意打ち。by K. Hattoriby K. Hattori


 「素晴しい!」と手放しで喜ぶ映画ではないが、日本映画のファンとしては石井竜也という新しい才能の登場を、まずは歓迎してもいいだろう。

 ビジュアルに対する感覚というのは天性のもので、後から訓練したところでどうしようもないものだと僕は思っている。今までにない新しいなにかを作り出そうとする場合は、特にそうだろう。石井監督はCGというハリウッドでも流行の道具を使ってスクリーンに新しい映像を映し出そうとしているが、この感覚はかなりイイ。同じようなテクニックを使っているハリウッド映画『タイムコップ』などに比べても、そのセンスは優れたものだと思う。

 例えば、河童が少年にテレパシーを送る様子を表現するのに、空間を波紋のように歪ませるあたり。または、少年の足下全体から水がにじみ出したようになり、そのままぐんぐん水位が上がって少年を飲込む描写。こうした一連のCGと実写の合成シーンは、ぞくぞくするぐらいに艶っぽく、美しい。

 石井監督は主役である河童のデザインも担当しているようだが、これがまたいいのだ。子ども河童・テンの愛くるしいことったらない。こうしたデザインは、過去にもさまざまな作品(例えばETとかね)からの影響が云々されるのだろうが、『河童』におけるクリーチャー・デザインは過去の資産を受継ぎながらも、全くオリジナルな〈河童〉になっていたと思う。少なくとも僕は、ここにセンスを感じた。元気なときは両生類っぽいヌメヌメお肌なのに、元気がなくなると茶褐色でパサパサになるあたりはありそうなアイディアだけど、あの父河童の頭の横についていた、トノサマガエルのような斑紋に気がついたから全て許す。あれはいいデザインだ。

 物語は少年時代のエピソードがいいわりには、現代のエピソードが貧弱。昭和28年のエピソードは、あの大根役者・陣内孝則が素晴しく思えるほどなんだけど……。現代のエピソードと最後の再会シーンがなくても、この映画って十分に成立すると思うんだけどね。父と子の対立と和解というテーマを反復して提示するという構成は、この場合かえって邪魔だったと思う。第一のエピソードと第二のエピソードの描き方に差がありすぎて、第二のエピソードの印象が消し飛んでしまうんだな。結果として、登場人物達がただひたすら深刻ぶっているわりには、第二のエピソードって内容がなんにもないんだなぁ。

 石井竜也はもともとデザインの才能がある人で、CDジャケットやポスターのデザインも自分でやってしまうような人物。この映画監督デビュー作も、彼のビジュアル感覚が前面に押し出された映画として観るべきだと思う。彼のシャープな映像センスにあった脚本家と組めば、もっと良かったのにね。次回作にも期待しましょう。


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