119

1994/11/24 東劇
『無能の人』に次ぐ竹中直人の監督第2作は観客を豊かな気持ちにさせる。
心地よさと適度の緊張感のバランスが見事。by K. Hattori


 テレビドラマ「君の名は」に出演していた頃の鈴木京香は、あの古風な美人顔がやたらと鼻について、どうも好きになれなかった。今回この『119』で鈴木は消防署員のマドンナ役を演ずるが、これは逆に彼女の古風な顔立ちが物語にマッチして、独特のムードをこの映画の中に生み出していたと思う。今風のアイドルが何人かかっても、この鈴木にはかなわない。今時まれな顔立ちの、日本的美人女優の面目躍如といったところだろう。

 これは一種のファンタジー映画だと思う。竹中監督の前作『無能の人』も、生々しいリアリティーと日常からの浮遊感が微妙なバランスで同居する映画だったが、それと同じような感覚は、今回の映画にも満ちている。『無能の人』の浮遊感は、登場人物のほとんどが一般的な生活からドロップアウトした人たちである点にあるのだと思っていたら、この映画では普通の人々を描きながらそれをやってのけるのだから大したものだ。この浮遊感は観ていて気持ちの良くなるもの。こんな気持ちいい映画を作れる竹中直人には、やはり才能を感じる。北野武同様に、日本映画が今無視できない監督のひとりだと思う。

 徹頭徹尾事件らしい事件が起きない映画だが、場面場面ではそれなりのエピソードが観るものを引きつける。冒頭に登場する消防車を追いかける男達とか、食あたりで奇声を上げながら悶絶する男とか、豆腐をむやみと買う場面とか、保険のおばちゃんと消防士の情事とか、無数のおかしいエピソードに満ちている。これらの小さなエピソードはそれぞれ孤立し、全体を貫き通す物語にはなっていない。これが〈事件の起きない映画〉と思わせる原因になっているのだろうが、実際にはいろんなことが起こっているのです。ドラマチックな展開を拒否し、あえてブツブツとエピソードを切り刻んでいるのだな。

 こうした語り口調も『無能の人』との共通項。前作は短編の連作マンガを原作としたため、そうした手法を採ったのかとも思ったが、この『119』を観ると、この手の手法が竹中監督の好みなのかとも思える。いずれにせよこの組立は映画を魅力的にしているのだから、僕には不満のかけらもない。

 たった2本の監督作で総括してしまうのは気が引けるが、『無能の人』にしろ『119』にしろ、竹中監督の映画はいつも温かい、ほのぼの、しみじみした風景に満ちている。このまま映画が終わらずに、ずっとこの風景の中に留まりたいと思った観客は、僕だけではないはずです。こうなったら、早く監督の次回作が観たい観たい、どうしても観たい!

 それにしても、パンフレットに載っていた今野雄二の解説の、なんと間抜けなことだろう。な〜んでいきなりこの映画を、デビット・リンチの『ブルー・ベルベット』比較しはじめるわけ?


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