集団左遷

1994/11/22 丸の内東映
バブル期の大量雇用と事業拡張で膨れ上がった企業が大規模リストラ。
整理対象とされた社員たちが会社に一矢報いる。by K. Hattori


 バブル期によそから引き抜いてきた人材が荷物になってきた不動産会社が、社内の不良人材を不採算部署に集め、その責任と称して一気にクビを切る謀略をめぐらせる。新事業部への配置転換という名を借りた、ていのいい人員整理である。ここから男達のプライドを賭けた、血みどろの戦いがはじまる。

 ヤクザ路線に見切りをつけた、東映サラリーマン路線第1段。もっとつまらないと思っていたら、これが案外面白い。案外どころか、だいぶ面白いんだなぁ。特に前半。終身雇用のぬるま湯の中で、ダラダラと閑職に甘んじ、あるいは干からびていた男達が、徐々に自分たちの置かれている厳しい状況に気づかされて結束してゆくあたり。これはいい。

 僕も会社勤めで閑職に追いやられたことがあるからわかるんだけど、どんなに仕事に意欲があっても、サラリーマンってのは目の前に仕事がないとどうしようもないんだよね。露骨にふてくされているのは、俺に仕事をくれという暗黙のメッセージ。これが延々無視されると、ふてくされることをやめて、人間の本性自体が腐ってゆく。この映画で言えば、最初の柴田恭兵や中村敦夫がそれ。でも、彼らは芯まで腐っちゃいなかった。会社の無法な人事に対し、彼らは男の意地だけで立ち向かう。

 柴田と中村はバブル期の中途入社組。リストラ部署である特販部員の多くは、新卒入社の生え抜き社員が多い。両者の現状認識のズレが、前半の大きなポイントになる。このあたりはリアルです。生え抜き社員は、理屈では自分たちが首切り対象になっているとわかっていても、心のどこかで会社に頼っている部分があるんですね。甘いのだ。彼らがいかにして一人前の戦士になってゆくかが、前半の大きな見せ場になります。

 問題は後半。物語が突然メロドラマになってしまう。前半で積み上げてきたささやかな物語が、突然ヒロイックな活劇になってしまうのだ。ストーリーに破綻はないけれど、これは〈サラリーマン〉というキャラクターからは明らかに逸脱していると思う。

 日常生活者としてのサラリーマンが、ちっとも描けていなかったのも問題だな。観客が〈サラリーマン〉だったとして、いったいどの人物に共感し、感情移入できるでしょうか。もう少し、生活部分を掘り下げた描写がほしかった。

 ラストシーンは、黒澤明の『悪い奴ほどよく眠る』だね。津川雅彦が森雅之。黒幕は最後まで姿をあらわさない。結末としては陳腐だな。ブラック・ジャーナリストまがいにすごむ柴田がつきつける要求も、安っぽいヒロイズムだしね。

 それにしても津川雅彦。最近映画に出すぎだなぁ。芝居は達者だけど、演技に内面がないぞ。『東雲楼』も『四谷怪談』も『集団左遷』も同じ津川だ。


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