四十七人の刺客

1994/11/01 新宿コマ東宝
映像にみずみずしさがなく、ミイラのように干からびている。
演出意図もテクニックもわかるが、どれも力強さがない。by K. Hattori


 まず前言を撤回しておかねばなりません。松竹の『忠臣蔵外伝・四谷怪談』は面白い映画です。少なくともこの『四十七人の刺客』と比較すると、松竹版はしたたるような映像の魅力に満ちています。深作版は場面場面が非常にジューシーで、かむと口の中に濃厚な肉汁が拡がる感じがするのに対して、この市川版はスカスカで水気はなく、口当たりもぼそぼそでちっとも美味しくないのです。深作欣二がいくつかの場面で目の覚めるような凄まじい演出手腕を発揮していたのに比べて、この映画『四十七人の刺客』の力のないことったらない。全編にみなぎる白けた空気にはがっかりですし、役者の芝居や台詞回しにはげんなりです。

 映画の冒頭、討入を目前に控えた大石一行が、既に江戸間近に迫っているというオープニングには興奮した。あのままの流れで刻一刻と迫る大石等赤穂浪人と、それを迎え打つ色部又四郎の駆け引きを描き続ければ、この映画はスリルに満ちたものになったはずだ。松の廊下の刃傷沙汰も、赤穂城引き渡しも、大石の廓遊びも、なにもない忠臣蔵。結束の固いテロリスト集団としての赤穂義士。それを束ねる首領大石と、吉良邸警備責任者としての色部。敵味方に別れた男と男の対決を中心に据えて、凝縮した時間の中でたっぷりと芝居を見せてくれるものだとばかり思って手に汗握った瞬間、映画はおきまりの回想シーンで刃傷事件の顛末、内匠頭の切腹、赤穂城引き渡しなどをいちいちなぞってしまう。つまらん。

 まず脚本が悪いが、次にキャスティングがひどい。この脚本にして高倉健の内蔵助ではいかにもミスキャスティングではないか。高倉健が宮沢りえを孕ませる能力があるなんて、どうしたって見えないでしょ? ふたりが寝室を共にしているなんて、グロテスク以外の何物でもありません。宮沢りえの芝居が最低なことには目をつぶるとしても、とりあえず彼女が演じた〈かる〉という役の必要性が、この物語の中にあったとは思えない。ミスキャストその2は、内蔵助の妻りくを演じた浅丘るり子。彼女があんな幼い子供の母親だなんて笑っちゃうよね。ちなみに大石主税を演じた尾上丑之助も、ひとりだけ昔の東映時代劇みたいな雰囲気で、思いっきりヘン。中村敦夫の原惣右衛門も、全体の中ではひときわ浮いていた。必要以上に存在感がありすぎなのだよ。しょぼくれた高倉健の大石と中村敦夫が並ぶと、中村の存在感が高倉大石を食ってしまう。困ったものだ。

 悪い点、残念な点をいちいちあげるときりがないのでやめるけれど、何から何まで期待はずれな映画だったことは確かだ。これだけの原作にこれだけのキャスティングを配しながら、たったこれだけの映画しか作れないのはどう考えたっておかしいと思うぞ。日本映画の貧しい一面を、天下往来に吹聴しているようなものだなぁ。


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