欲望

1994/10/19 東劇
ガブリエル・バーンが見せる男の弱さとずるさ。ひっそりと公開された佳作。
デブラ・ウィンガーが知的障害のある女性を演じている。by K. Hattori


 吐き気がしそうなぐらいリアルな芝居。むせかえるように濃厚で執拗な日常描写の中に、人間の残酷さと弱さ、優しさと強さをかいま見させる映画です。主演3俳優の息詰まるような演技の応酬には圧倒されますが、中でも知的障害のあるマーサを演じたデブラ・ウィンガーの熱演がすざまじい。

 マーサをめぐるエピソードの数々は、目を背けたくなるぐらい残酷。クリーニング店で小銭泥棒の汚名を着せられるくだりなど、あまりの理不尽さに目の前が暗くなり、彼女がたったひとりの友人だと頼む同僚にまで疎まれるにいたっては、あまりにひどさ加減に劇場から出たくなったほどです。映画の前半は、こうした陰惨で残虐な描写が延々続きます。ひとつひとつの言葉や行為は些細なことでも、それが積もり積もると、人間ここまで残酷になれるものなのですね。登場する人たちがみんなごく普通の人たちだけに、僕もまた同じ立場になれば同じように残酷なことをするに違いないと思うと、ますます嫌になってしまいます。人間の持っている汚い部分をこんなに執拗に描いた映画は初めて観ました。

 人は通りすがりの他人や遠くの人には優しくできるけれど、得てして近くにいる隣人には残酷になるものです。マーサのような人が近くにいれば、周囲はイライラすることも多いでしょう。イライラが高じれば、人は意地悪になります。ガブリエル・バーン演ずるマッキーがマーサに優しいのは、彼が通りすがりの赤の他人だったからかもしれません。長く時間を共有する相手でさえなければ、人はとりあえず愛想良くできるものです。その証拠に、マーサと深い仲になると途端にマッキーは彼女に冷淡になります。

 扇情的な日本語タイトルですが、中身に色っぽいものを期待しても無駄です。デブラ・ウィンガーの自慰シーンが売りのようですが、誰が彼女のオナニーを見たくて劇場に足を運ぶというのでしょう。セックスの問題はこの映画では避けて通れませんが、その描かれ方はロマンチックなものでもエロチックなものでもない。人間が持っている性(サガ)や業(ゴウ)のようなものの一面として、セックスが取り上げられているのです。マッキーとマーサのセックスシーンは印象的でしたが、このシーンで男の弱さと残酷さを表現しきったガブリエル・バーンの表情を、僕は忘れられそうにありません。

 数行の台詞と短いシーンで状況を説明してしまう脚本はよくできています。この映画には舞台劇のように濃厚な時間の流れていますが、それはこの脚本のせいでしょう。

 映画は最後の最後になって、それまでとは打って変わって人間の持っている優しさと強さを描いて終わります。このシーンの何という明るさと温かさ。決してハッピーエンドではないけれど、そこにある小さな希望が胸に響きます。僕はこのラストシーンで、久しぶりに少し泣きました。


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