さらば、わが愛
覇王別姫

1996/05/24 ル・シネマ
『ピアノ・レッスン』とカンヌでグランプリを分け合った傑作。
時代の流れに翻弄される男と女の愛憎劇。by K. Hattori



 現時点で、本年度のベスト1です。素晴らしい映画を観せてもらいました。

 重厚で壮大、幽玄で華麗な物語。脚本は主要登場人物のキャラクターをうまく描き分けていてわかりやすい。一級の娯楽作品であると同時に、一流の芸術作品にもなり得ている映画だと思います。映像も絵巻物のように美しい。映画は切なく苦しい人間のいとなみを、時には雄弁に、時には沈黙で語ります。

 少年時代のエピソードが圧巻です。主役二人の関係をわずか数十分の時間で十二分に描ききっている。この少年時代の描写があまりにも切ないために、青年期以降の二人の関係、特に覇王役者・段小樓(トァン・シャオロウ)が急にニブチンで気がきかない男になってしまったことに戸惑うほどです。僕としてはもう少し優しさや思いやりのあるところを見せてほしかった。これでは程蝶衣(チョン・ティエイー)が可哀想すぎます。映画のクライマックスで蝶衣は小樓を「あなたは僕を裏切った」と罵りますが、青年期以降の小樓は登場したときから蝶衣を裏切っているように見えます。小樓と蝶衣が単なるビジネス・パートナーのように描かれていては困るのですが、小樓役の張豐毅(チャン・フォンイー)は蝶衣に対する小樓の気持ちや心遣いを無視して演じているようです。二人のデリケートな関係に対する劇団員や劇場主、京劇会の大物・袁四爺(ユアン)の態度に比べると、あまりにも無神経すぎる。ニブチンたるゆえんです。これに対しては蝶衣を演じた張國榮(レスリー・チャン)が「彼は役のとらえ方を間違いました。だから私は俳優として彼を認めないし、再び共演したいとは思いません」とまで言っています。しかしそうした欠点を差し引いても、この映画が素晴らしい映画であることは変わりません。

 この映画の中心になる人物は、前記した程蝶衣と段小樓の京劇役者。それに小樓の妻となる女郎上がりの女、人気女優・鞏俐(コン・リー)演ずる菊仙(チューシェン)です。物語はこの三人を核として何十年という時代を描きますが、映画はこの三人に老けメイクを施したりはしない。他の登場人物が充当に老けていくことを考えると、この永遠の若々しさは演出上意図的なものです。この三人はいつも変わらない。蝶衣の小樓に対する思いは純粋なまでに変わることを拒絶し、小樓の一本気な性格も変節を拒みます。菊仙の「普通の生活」に対する指向も終始一貫している。変わるのは周囲の状況です。清朝末期から日本軍の進駐、戦争、戦後の国民党支配、共産党による解放という激動の時代の中でも三人は変わらない。しかし中国に文化大革命の嵐が吹き荒れる中で、あれほどまでに変わることを拒み続けていた小樓が、太い枝が突然折れるようにあっさりと他の二人を裏切る。この場面は観ていて辛かった。小樓の変節を、歪んだメイクで描ききった演出は見事。対して端正にメイクを仕上げた蝶衣は、いまだ変わらぬ忠誠を小樓に捧げていることがありありとわかる。この映画のクライマックスは、あまりにも残酷でした。

 少年時代の蝶衣が劇場で観る『覇王別姫』の芝居は見事。目も眩むアクロバチックな体さばきとダイナミックなアクション。絢爛豪華な衣装と舞台、観客の熱狂。夢のように美しいお芝居。ぜひ本物を生で見てみたいと思いました。


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