ロボコップ3

1993/04/18
シリーズも3作目になるとオリジナルの香りは消えてしまう。
設定だけ借りたお子様むき映画への堕落。by K. Hattori



 シリーズ1作目は過剰とも思える暴力描写が話題になったが、それが後半のアクションに説得力を持たせてドラマを盛り上げていた。第2作は、殺伐とした前作の雰囲気にユーモアを持ち込んだ。(もっとも、このユーモアのセンスには賛否あるとは思う。)2作に共通して言えるのはロボコップの敵となるキャラクターがはっきりしていることで、あそこまで同情の余地のない完全な悪役が、逆に大いに魅力的に見えたものだ。私企業に警察が買い取られるというアイディアもよかった。利害と欲望が渦巻く企業の思惑もよく描けていたと思う。退廃的・世紀末的な商品のテレビCFにも笑わせられた。

 さて、今回の3作目はどうか。僕にははっきり言って物足りない。脚本・演出とも、どうにも生ぬるいのだ。暴力描写はすっかりおとなしくなり、アクションシーンには切れ味がない。ユーモアも上滑りしている。ロボコップ対完全悪という対立関係も薄れているし、警察とロボコップとの少しギクシャクした微妙な関係も描かれない。ロボコップは完全にマーフィーとしての人格を取り戻し、誰もそれに疑問を持たない。ロボコップ(マーフィー)自身ですらそうなのだ。ロボットと人間との間で人格の分離が起こるという、このシリーズの重要テーマは捨てられてしまった。

 今回の映画ではロボコップがさらにパワーアップしてついに空を飛ぶのだが、飛行シーンには爽快感も解放感もない。ロボコップは始終パワー不足でフラフラ。頼り甲斐がないことこのうえなし。そのかわり敵役のロボットもそんなに強くない。このオートモというロボットは、もっと魅力的に使ってほしかった。それに、日本人の作ったロボットにしては、太刀さばきもカッコ悪い。やたらヒュンヒュン振り回してばかりで、実にみっともない。

 主役の俳優が変わったので、てっきりヘルメットを外すシーンはないものだとばかり思っていたが、これが以外にも多くのシーンで素顔を見せている。これだけはみものです。



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