永遠の0

2013/12/12 よみうりホール
百田尚樹の同名ベストセラー小説を山崎貴が映画化。
戦争メロドラマだが映像は観る価値あり。by K. Hattori

13121201  司法試験に落ち続けている26歳の佐伯健太郎は、祖母の葬儀で、母と姉から自分には戦死した祖父がいることを知らされる。自分たちの本当の祖父は、戦争中に特攻隊として出撃して帰らぬ人となった。祖母はその忘れ形見である健太郎の母を連れて、現在の祖父と再婚したのだ。「おじいちゃんのことを調べてほしい」という母の言葉をきっかけに、健太郎は姉の慶子と一緒に戦死した祖父・宮部久蔵の足跡を調べはじめる。戦友会の名簿を頼りに祖父の戦友を訪ねはじめたふたりは、そこで「宮部は海軍航空隊一の臆病者だった」「命が惜しくていつも逃げ回っていた」などの軽蔑と侮辱の言葉を投げつけられる。姉弟はひどく落ち込むが、かつて祖父の部下だったという井崎を訪ねた時、それまでとはまた違う意外な話を聞かされることになった。「宮部さんは凄腕のパイロットでしたが、確かにご自分の命を惜しんでました。でもそれには理由があったのです」。閉ざされていた過去への扉が、ゆっくりと開きはじめる……。

 百田尚樹の同名ベストセラー小説を、『ALWAYS 三丁目の夕日』の山崎貴監督が映画化した戦記メロドラマ。物語全体の構造は『市民ケーン』と同じだ。既に亡くなっているひとりの男の実像を探るため、複数の視点からのインタビューが映像化されてリレーされていく。その視点は断片的なものであり、相互の矛盾もある。また決して埋められない空白も多い。だが映画を通して、観客の中にひとつの統合された人物として宮部久蔵が浮かび上がってくるという仕掛けになっている。『市民ケーン』との大きな違いは、『市民〜』の中では傍観者でしかなかった新聞記者たちが、この映画では主人公である間宮の孫とされていることだ。司法浪人の健太郎は物語の狂言回しだが、彼は彼なりに一連の取材を通して戦争を知り、成長していくということなのだろう。『市民ケーン』の記者は成長しないから、これはこの映画の大きな特徴と言えるだろう。ただし健太郎がどんな風に成長したのかは、映画を観ていてもわからないのだが。

 しかしそうした物語の構造より、僕は宮部久蔵という主人公のキャラクターに着目したい。彼は『少年H』で水谷豊が演じていた父親と同じだ。戦争という狂った時代、誰もが死に急いでいた時代の中で(実際に戦争中がそういう時代だったかどうかは別として、映画の中ではそうだったことになっている)、宮部だけは冷静に世の中を見つめ、戦局を見つめ、未来を見つめている。真珠湾攻撃の大戦果に浮かれている仲間たちの中で、ただひとり「敵の空母がいませんでした」と言ってのける男。宮部だけは戦争の時代にありながら、21世紀の我々と同じ視点で戦争を見ているのだ。

 映画は宮部の特攻が成功したか否かを描いていないが、何となく結果を期待させて終わる。反戦ムードで進行していた映画が、なぜかここで好戦的になってしまうことに幻滅するしかない。

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12月21日(土)公開予定 TOHOシネマズ日劇ほか
配給:東宝
2013年|2時間24分|日本|カラー|シネマスコープ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.eienno-zero.jp
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
サントラCD:永遠の0
原作:永遠の0(百田尚樹)
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