歌う女たち

2013/10/18 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(Artスクリーン)
外界から隔絶された島で展開する黙示録の風景。
わからない。不可解だ。でも面白い。by K. Hattori

tiff26.png  地震が多発して住民の避難が呼びかけられている小さな島。かつて島を離れたひとりの青年が、病を得て島に戻ってくる。彼の命はもう残りわずかだが、実家に戻っても父親との衝突が絶えない。そんな青年を追いかけるように島に渡ったのは、彼に離婚届を突きつけている妻だ。島に唯一残った老医師は、夫からの暴力を避けて逃げてきた少女のような若い女に惹きつけられて結婚する。青年の父で長年働いている家政婦と、同居している兄の奇妙な関係。医者と結婚した娘を追って島にやって来た元夫の行く末。伝染病で次々に死んでゆく馬。行方不明になった息子を探し続ける、老いた母親の姿……。

 映画は全編にわたって「不穏な空気」を充満させている。ここから先に、いつ血みどろの大殺戮が起きても不思議でないような、不気味で禍々しい破滅の予感を漂わせているのだ。死病に取り憑かれた青年。その父親は息子が間もなく死ぬとわかっていても、心を通わせることができない。冷え切った夫婦関係。心の交流は閉ざされ、殺伐としてとげとげしい言葉のやりとりが続く。地震。疫病。これは黙示録の世界だ。

 これはリアリズムの世界ではなく、寓意に満ちたファンタジーだ。しかしその寓意が読み取れない。この映画を観ていて一番もどかしいのはそこだ。ハリウッド映画やヨーロッパの作品は、ベースにあるのがキリスト教や聖書だからその類型から作り手の意図も何となく読み解いていけるのだが、この映画はイスラム圏のトルコ映画。物語の中にある小さなエピソードが、どんな文脈にあるのかつかみ取りにくい。家族の情愛や人間の喜怒哀楽というリアリズムに根ざした映画なら、文化的な違いなど乗り越えてしまうのだが、この映画はファンタジーだからその手が通用しない。

 作品の持つ雰囲気は、ドライヤーの『奇跡』に似ている。個々の描写がリアリズムでありながら、それをつなぐ要所に人知を超えた超自然描写が切り込んでいく。死病に取り憑かれたはずの男の奇跡的な緩解。崖から落ちて死んだ女の復活。女たちの手で殺される男。確たる現実に足場を据えたと思った次の瞬間、その足場が急に消え去るような頼りなさ。その隙間から出し抜けに吹き出してくる暴力。これはパク・チャヌク監督の『オールド・ボーイ』や、スコセッシの『シャッター アイランド』で味わった感覚に似ているような気もする。

 この映画の良し悪しについては、正直よくわからない。ところどころに面白いと思う場面もあり、ドキリとする場面もあり、ハラハラさせられる場面もある。だがこの映画が全体として何を言おうとしているのか、僕はつかみかねている。しかしながら、こうした「わからない映画」に出会えるのも映画祭の面白さ。また「わからない=つまらない」では決してないわけで、僕はこの映画を観ながら結構楽しんでいたのだ。機会があれば、もう一度観てみたい作品だ。

(原題:Sarki Söyleyen Kadinlar)

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第26回東京国際映画祭 コンペティション
配給:未定
2013年|2時間1分|トルコ、ドイツ、フランス|カラー
関連ホームページ:http://tiff.yahoo.co.jp/2013/jp/lineup/works.php?id=C0010
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