謝罪の王様

2013/10/14 TOHOシネマズ錦糸町(スクリーン1)
生ぬるい予定調和の世界がこれはこれで心地よい。
後半で勢いがなくなってくるのは残念。by K. Hattori

13101401  脚本・宮藤官九郎、監督・水田伸生、主演・阿部サダヲという組み合わせは、2007年の『舞妓Haaaa!!!』や2009年の『なくもんか』に続く3本目。「謝ることであらゆるトラブルを解決する」「謝って済むから警察はいらない」と豪語する、東京謝罪センターの所長・黒島譲と、彼にトラブルを解決してもらったことをきっかけに押しかけ助手になった倉持典子のコンビ。彼らが持ち込まれたさまざまなトラブルを、奇想天外な方法で解決して行くというコメディ映画。持ち込まれるトラブルごとにエピソードを区切ったオムニバス風の構成になっているが、あるエピソードの中心人物が別のエピソードでは脇役に回るなどして、全体としてはゆるやかなまとまりを持つ群像劇だ。

 映画を最後まで観ると、この構成が実に巧妙に出来ていることがわかる。予定調和と言えばそれまでなのだが、その予定調和が心地よい。もちろんこれはヌルイと言えばヌルイし、アマイと言えばアマイ。でもこういう予定調和の気持ちよさというのもドラマを見るときの楽しみであって、それは本作と同じ宮藤官九郎が脚本を担当して大ヒットした「あまちゃん」にも似ている。いろいろなネタをばらまいて、それが最後に伏線としてきれいに回収されていく快感。そう。快感なのだ。この気持ちよさの前に、荒唐無稽な設定も、無茶な展開も、少々ご都合主義に感じられるエピソードも、どうでもよくなってしまう。切れ味が悪いところもあるが、この鈍さも含めて、この映画のヌクヌクとしたぬるま湯的世界が生み出されているのだ。

 映画には謝罪のハウツーを解説するところがあるのだが、その根拠はともかく、確かに我々はこうした形式的謝罪によって溜飲を降ろしている部分があるのだろうなぁ……と腑に落ちるところもある。テレビで謝罪会見を繰り返す人たちが、いったい何に対して謝っているのかよくわからないというのもその通りだし、「訴える」と言われているうちはまだ和解のチャンスがあるというのもその通りだろう。映画が謝罪を徹底して形式的なものとして描きつつ、最後は「土下座を超えた謝罪」として謝罪する側の「誠意」や「真心」を持ってくるのも、予定調和ながら落ち着くべきところに落ち着いたオチだろうと思う。

 映画は前半と後半で少し雰囲気が違う。前半は小ネタ満載でおもちゃ箱をひっくり返したような面白さがあるが、後半はストーリーの枠を海外にまで広げてスケールアップしたことで、前半に見られた密度の濃い面白さは消えている。岡田将生と尾野真千子のセクハラトラブルなどはよくできていたし、元大物俳優夫婦の息子が不祥事を起こす話なども楽しかった。だが映画プロデューサーが出てくるあたりから、面白さの勢いが陰り出す。黒島がどうして謝罪師になったのかを明かすエピソードにいたっては、完全にドラマの推進力が失われてほぼ失速状態だ。

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9月28日公開 TOHOシネマズ日劇ほか全国ロードショー
配給:東宝
2013年|2時間8分|日本|カラー|シネマスコープ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.king-of-gomennasai.com
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
サントラCD:謝罪の王様
主題歌CD:ごめんなさいのKissing You
オフィシャルブック:謝罪の王様
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