小さなアパートでヒモのような男と同居しながら、男に言われるまま体を売る仕事をしている今日子。少年刑務所を出所し、小さな町工場で働くことが決まった修一。それが2011年3月11日だった。地震の揺れの中で、今日子は誤って同居している男を刺してしまう。それは事故だったのか。それとも彼女は、そうすることで男から逃れたかったのか。会社勤め初日に、津波で故郷の町が壊滅したことを知った修一。彼らはふたりとも、被災地となった南三陸の出身だった。だが今日子にも修一にも、もう帰るべき場所も、待っていてくれる人もいないのだ……。
奥田瑛二の新作は、東日本大震災をモチーフにした男と女のドラマだ。タイトルは『今日子と修一の場合』だが、このふたりは映画の中で最後に交差するだけ。映画の形式としては、「今日子の場合」と「修一の場合」というふたつのドラマが並行して進んでいくオムニバス形式。ふたつの物語は明確に区切られているわけではなく、映画の中で並走して行く。その上でふたりの過去が語られ、現在が語られ、ふたりと関わりを持つ人間たちの物語が挟み込まれるという、かなり複雑な構成になっている。それでいて、物語がわかりにくいところは少しもない。この映画で一番すごいのは、複雑な時間軸を持つストーリーを巧みに捌いた監督の手並みだろう。
主演は今日子役に安藤サクラ、修一役に柄本佑。今日子のヒモに和田聰宏。修一を慕う少女に小篠恵奈。ピアニスト志望の青年役で、この映画がデビュー作となる和音匠。今回の映画には奥田瑛二が出演していないのだが、和田聰宏が演じるヒモ男は、若い頃の奥田瑛二がしばしば演じたダメ男と同じ匂いがする。女を食い物にするダメな生活を送っているくせに、女を食い物にするといいながら頼みの綱は今日子しかいない(今日子と知り合う前は誰もいない)くせに、日常のつぶやきが、いちいち短歌になってしまう奇妙で憎めない奴なのだ。
上映時間2時間15分。ただし大作ではない。低予算のインディーズ邦画2本立て興行みたいな世界だ。脚本の構成は面白いが、個々のエピソード自体はさほど面白くないのが残念。修一のエピソードが爽やかな青春ドラマだから、今日子の側がロマンポルノばりのドロドロ愛欲路線になっているわけだが、こちらも描写自体はあっさりしたもので、描かれている出来事ほどの凄味が感じられないのだ。これはラストシーンから物語全体を逆算したことで、そこに至るドラマに追い込みが足りなくなってしまったのかもしれない。複雑な脚本がうまくまとまってはいるが、破綻なくきれいに整いすぎていて、良く言えばお行儀のいい映画であり、悪く言えば予定調和なのだ。
主演の安藤サクラと柄本佑は今年結婚したばかりの新婚カップルで、今回の映画は奥田瑛二から娘夫婦に向けての結婚祝いみたいな映画なのかもしれない。そう考えるなら、予定調和もまた良しである。
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