もうひとりの息子

2013/09/11 松竹試写室
イスラエルとパレスチナをまたぐ赤ん坊取り違え事件。
18歳になった子供たちの選択は? by K. Hattori

13091102  イスラエル最大の都市テルアビブに住む、フランス系ユダヤ人の少年ヨセフ・シルバーグ。ヨルダン川西岸のイスラエル占領地区で暮らす、パレスチナ人人の少年ヤシン・アル・ベザズ。ハイファの同じ病院で同じ日に生まれたふたりは、病院のミスで取り違えられて18年を過ごす。だがヨセフの兵役検査で両親との血液型不適合が明らかになり、家族と血のつながりがないことがわかる。やがて明らかになる真実。ふたつの家族は、この問題で大きな苦しみと葛藤を味わうことになる……。

 子供の取り違えによって生じる家族の葛藤は、是枝裕和監督の『そして父になる』(僕はまだ未見)でも取り上げられているモチーフ。『そして〜』は今年のカンヌ映画祭で審査員賞を受賞しているが、本作『もうひとりの息子』は昨年の東京国際映画祭に出品されてグランプリと監督賞を受賞している。映画の準備期間を考えると、同時期に同じような映画が作られていたのはまったくの偶然だが、ふたつの映画を比較してみるのも面白いと思う。

 本作では取り違えられていた子供の一方がイスラエルのユダヤ人、もう一方が占領地のユダヤ人に設定されているところに作り手の意図がある。敵同士であるふたつの家庭が、子供の取り違えという事実を前にして、互いに歩み寄り、手をたずさえて共に生きねばならなくなったら、そこにどんな事件が生じるだろうか。ユダヤ人がパレスチナ人に対して抱いている偏見や恐怖と、パレスチナ人がユダヤ人に対して抱いている憎悪が衝突して火花を散らす。自分が本当はパレスチナ人であることを知ったヨセフが、「僕は爆弾を巻いたテロリストになるの?」と母親に問うシーンは、そうしたユダヤ人の偏見と恐怖を物語っている。イスラエルのユダヤ人にとって、「パレスチナ人=テロリスト」なのだ。ヨセフが自らのユダヤ人としてのアイデンティティを、ラビ(ユダヤ教の指導者)に剥奪されてしまう場面も印象に残る。

 普通の家族の中に外部の人間を放り込むことで、その家族が抱えたさまざまな問題を浮かび上がらせるという手法はさまざまな映画で使われている。だがこの映画では、それまで家族だった人間がじつは本当の家族ではなかった……という話になってくる。家族にとって、それまで息子だと思っていた人間は本当の息子ではない赤の他人だった。昨日と同じように食事をし、昨日と同じようにベッドで眠るが、それは昨日までの息子とは別人だ。何も変わらないのに、すべてが決定的に変わってしまう。それは息子の側からも同じこと。彼は自分の帰属する家族を見失い、自分自身が何者なのか、自分と共に暮らす人間たちは誰なのかを問い始めるのだ。

 物語は特殊な事例を扱っているが、ここに描かれているのは「家族とは何か」ということだ。ほとんどの人はそれを問うことすらないテーマだが、この映画を観た人は、自分と家族の関係を改めて問わずにいられないだろう。

(原題:Le fils de l'autre)

Tweet
10月19日(土)公開予定 シネスイッチ銀座
配給:ムヴィオラ
2012年|1時間41分|フランス|カラー|シネマスコープ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.moviola.jp/son/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
関連商品:商品タイトル
ホームページ
ホームページへ