四十九日のレシピ

2013/08/23 GAGA試写室
母を亡くした家族が目指す「四十九日の大宴会」の行方。
話の作りが少々わかりにくい。by K. Hattori

13082301  伊吹有喜の原作は未読で、2011年にNHKで制作されたドラマ版も見ていない。今回の映画は主演が永作博美と石橋蓮司だが、同じ役をドラマ版では和久井映見と伊東四朗が演じていたようだ。機会があればそちらも見てみたいと思う。

 亡くなった母親の四十九日法要を行うために、家族が再会する物語だ。しかし娘の百合子は、ただ法事のためだけに実家に戻ってきたわけではない。百合子は夫との間になかなか子供ができず不妊治療中だったが、そんな彼女を差し置いて夫が浮気相手との間に子供を作ってしまった。彼女は夫と離婚するつもりで、家を飛び出てきたのだ。だが実家に帰宅してみると、家の中にはイモと名乗る派手な化粧をした若い女が入り込み、かいがいしく父親の身の回りの世話をしている。イモは亡くなった母が働いていた施設で世話をしていた子供で、亡くなった母本人から四十九日法要の手伝いをするよう依頼されていたのだという。家には同じように、生前の母と親交があった日系ブラジル人青年のハルもやってきた。4人が目指すのは、亡き人を偲んで楽しい時を過ごす四十九日の大宴会。彼らは亡き母の残したレシピ帳を手がかりに、型破りな法要の準備を始めるのだった。

 話が随分とちぐはぐで、説明不足なところが多いなぁ……というのがこの映画の印象。映画全体を見れば人物同士の関係なども何となくわかるのだが、こういうものは人物の出し入れに合わせて、その時にきちんと説明してくれた方が話がスムーズに進む。しかしこの映画はそれをしないので、映画の中に出てきた人物について、エピソードについて、いちいち「これってどういう意味?」「この人はどういう人?」と映画を観ている側が考え込んでしまうのだ。映画に登場する人たちは、自分たちのことをよく知っているから、何か説明的なことを口にすることはない。だから説明が必要なら、映画の中に事情を知らない他人をポンと突っ込めばいい。例えばこの映画には、淡路恵子が演じる口うるさい伯母さんが出てくる。映画の終盤ではその娘(ヒロインにとっては従姉妹)も出てくるので、このあたりの人物を使って、人物の来歴や関係などを序盤で一通り説明してしまうことは可能なのだ。

 もちろんこれはそうしろとか、そうした方がいいと言っているわけではない。こうした事前説明をしておく方法をあえて採らず、わかりにくい状況の中に観客をあえて放り込んでしまう手法に何か意味があるなら、それもひとつの考え方ではあるだろう。だが僕はこの映画を観ながら、この映画のわかりにくさにただ手を焼いて首をひねるだけだった。このわかりにくさは何かの狙いがあってのことではなく、単に不親切なものとしか思えない。わかりにくさゆえに、僕はこの映画の登場人物たちにほとんど感情移入できなかった。

 僕が唯一共感(?)して同情してしまった人物はヒロインの夫だ。人生ぶれまくりの弱い男を、原田泰造が好演している。

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11月9日公開予定 新宿バルト9、有楽町スバル座ほか
配給:ギャガ
2013年|2時間9分|日本|カラー|ビスタ|5.1chデジタル
関連ホームページ:http://49.gaga.ne.jp
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
原作:四十九日のレシピ(伊吹有喜)
関連書籍:四十九日のレシピのレシピ
主題歌「Aloha'Oe アロハオエ」収録CD:グッド・バイ(安藤裕子)
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