イギリスの片田舎にある引退音楽家のための老人ホーム〈ビーチャム・ハウス〉が、新たにVIP待遇の住人を迎え入れた。彼女の名はジーン・ホートン。かつて世界中のオペラファンを虜にした、20世紀最大のディーヴァ(歌姫)だ。だが彼女の出現に顔色を変え、「これで私の安らぎの時はなくなった」と悲鳴を上げるのは、元テノール歌手のレジー・バジェット。じつはジーンとレジーは元夫婦という浅からぬ関係。どうやらジーンは、ビーチャム・ハウスに元夫がいることを承知で入居を決めたらしい。一体どういうつもりなのか……。ことの成り行きに気を揉むのは、ふたりの古くからの友人で、ホーム一番のいたずら者でもある元バリトン歌手のウィルフ・ボンド。一方最近はすっかり認知症の症状が進んでいる元メゾソプラノ歌手のシシー・ロブソンは、古い友人であるジーンとの再会に大喜びだ。ホームでは運営資金を稼ぐコンサートの準備が進んでいる。監督のシィドリックはジーン入居の話を聞くや、彼女とレジー、ウィルフ、シシーの4人で伝説のカルテット(四重唱)を再結成し、コンサートの目玉企画にしようとするのだが……。
俳優のダスティン・ホフマンによる初監督作品。ホフマンはハリウッド映画のスター俳優だが、これはイギリス映画。舞台はイギリスで、出演しているのもみんなイギリスの俳優たちなのだが、映画のムードはイギリス映画流のエレガンスよりも、ハリウッド風の庶民派ムードになっているのが残念。引退音楽家の集まる老人ホーム内部で、みんな現役を退いているに現役時代の上下関係がそのまま生きているのがこの作品の面白さだと思うが、映画はそのあたりがどうもぼんやりしているのだ。
一般的な老人ホームでは、現役時代の肩書きにこだわる人ほど、新しい現実に溶け込みにくくて孤立してしまうものだと思う。大企業の部長や取締役をしていた人でも、ホームに入れば肩書きのない、ただの山田さんや佐藤さんになってしまうからだ。しかしこの映画に出てくるビーチャム・ハウスは違う。ここでは元舞台監督は引退した後も舞台監督として振る舞えるし、プリマドンナは引退後もプリマドンナとして皆の尊敬を勝ち得ることができる。音楽業界は上下のヒエラルキーがしっかりした大家族なのだ。それが引退後にまで付きまとうことは、ある種の息苦しさを感じることでもあるだろう。(映画の中ではその息苦しさの象徴が、マイケル・ガンボン演じるシィドリックだ。)だが逆にこうした大家族があるからこそ、ジーンはホームに到着した時から女王のように振る舞えるのだし、認知症のシシーも周囲がそれなりに扱ってくれている。
音楽家は商売で音楽をやっているのではなく、生涯音楽家であり続ける。ならば第一線から退いた後も、現役時代そのままの人間関係が維持できるホーム暮らしも悪くはないのかもしれない。これはある種のユートピアなのだ。
(原題:Quartet)
サントラCD:Quartet
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