ぼくたちのムッシュ・ラザール

2012/05/29 京橋テアトル試写室
自殺した教師の代わりにやってきたアルジェリア人教師。
彼には秘密にしている過去があった。by K. Hattori

Lazhar  モントリオールの小学校。牛乳当番として朝一番に教室に駆け込んだ生徒が見たのは、担任女性教師の自殺死体だった。学校はただちに代わりの教師を探すが、そこに名乗り出てきたのがアルジェリア人移民のバシール・ラザール。祖国で教員歴19年だというラザールを校長は雇い入れ、浮き足立っていた教室は少しずつ日常の落ち着きを取り戻していく。スクールカウンセラーの働きもあり、担任教師の死という事件から子供たちも立ち直っていくかに見えた。だが「死」という衝撃は、地下水のように子供たちの心の奥深くに流れ続ける。中でも事件の第一発見者となったシモンは、この出来事に深く傷つけられている。そして教員として働き始めたラザールも、学校では決して口にしない、親しい人の「死」にまつわる秘密を抱え込んでいた。

 原作はエヴリン・ド・ラ・シュヌリエールの戯曲で、舞台では一人芝居として演じられる物語を、監督のフィリップ・ファラルドーが映画向けに脚色している。主人公のラザールを演じるのは、アルジェリア出身で俳優や舞台監督として活躍しながら、政情不安な祖国を離れてフランスに亡命した経験を持つフェラグ。この経歴はそのまま、映画の主人公ラザールのそれに重なり合うものだ。フランス語の映画だが、舞台はフランス語圏カナダのケベック州モントリオール。フランス映画ともアメリカ映画とも違う、独特の空気感がある映画だと思う。

 映画は「死」が大きなテーマになっているが、プレス資料の中で監督はこの映画が死や哀悼についての映画であることを否定し、『複雑な有機体である学校についての映画です』と述べている。これは一定の秩序を持っている社会集団が、外部から持ち込まれた異物を消化して行く映画と言えるかもしれない。移民教師のラザールが、外部から持ち込んでくるさまざまな要素。それはアルジェリアで行われていた一昔前の授業スタイルも学校にとって異質なものなら、職員会議で彼が発する素朴な疑問も他の教師たちとは異質なものだ。慣れない環境にラザールも戸惑うが、学校側も戸惑う。生徒も保護者もみんな戸惑う。そしてこの戸惑いが、結果としてはより大きな異物である「教師の死」を消化して行くエネルギーを生み出す。

 しかし監督の意図はどうであれ、これはやはり「喪の儀式」についての映画だと思う。親しい人の死を受け止め、受け入れ、それを消化して、次の一歩を踏み出して行くためには、親し人の死の中で自らも一度死に、そこから再生する通過儀礼としての「喪の儀式」が必要なのだ。しかし学校の中では死が排除され、子どもの目に触れないところに追いやられてしまう。だが死に触れて心に大きな傷を負った人は、それでは次の一歩を踏み出せない。この映画の中ではシモンやアリスがそうだし、ラザール自身も同じだ。映画は彼らのその後を描いていないが、たぶん彼らはちゃんと明日を生きていけるに違いない。

(原題:Monsieur Lazhar)

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7月公開予定 シネスイッチ銀座
配給:ザジフィルムズ、アルバトロス・フィルム
2011年|1時間35分|カナダ|カラー|シネマスコープ|ドルビーSRD
関連ホームページ:http://www.lazhar-movie.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ぼくたちのムッシュ・ラザール
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