デビルズ・ダブル

―ある影武者の物語―

2011/12/12 シネマート六本木(スクリーン4)
独裁者フセイン大統領の息子の影武者になった男の実話。
主演のドミニク・クーパーは熱演だ。by K. Hattori

Devilsdouble  イラン・イラク戦争真っ直中の1987年、最前線で戦っていたイラク人兵士ラティフ・アヒアは、突然バグダットの宮殿からの呼び出しを受ける。彼を呼び出したのは独裁者サダム・フセインの長男で、イラク・オリンピック委員会の会長でもあったウダイ・フセインだ。目的はラティフをウダイの影武者にすること。ラティフはこれを拒むが、度重なる拷問と家族の命を狙うという脅迫からこれを受け入れざるを得なかった。こうして独裁者の息子の影となったラティフは、イラクの庶民からはまったく見えない「狂気のプリンス」の素顔を間近に見ることになる。女と酒と麻薬に溺れ、特に女については手当たり次第に手を出すウダイの乱暴狼藉。ところがラティフは、ウダイがお気に入りの愛人サラブと親しくなってしまうのだった……。

 原作は実際に87年から91年までウダイの影武者を務めたラティフ・アヒアの手記で、『マンマ・ミーア』のドミニク・クーパーが一人二役でウダイとラティフを演じている。最近のデジタル技術があるから、同じ画面の中で一人二役の役者が並んでいてもまったく驚くことはないだろう。しかし僕は、この映画の一人二役にはちょっと驚いた。それはウダイとラティフのキャラクターを、映画を観ながらまったく見間違えることがないという点にこそ驚かされたのだ。同じ役者が、同じような格好で、同じように喋ったり振る舞ったりしていても、映画の中のふたりはまったく別人に見える。目つきが違う。表情が違う。身のこなしが違う。クーパーはウダイとラティフという人物を、まったく別々の素性を持つ似ても似つかぬ対照的な男として造形している。ラティフはウダイにとって、最も近くにいながら、最も遠い距離にある側近なのだ。

 興味深いモチーフを扱っている映画ではあるのだが、狂気の暴走を続けるウダイ・フセインに比べて、その影であるラティフの人物像が添え物的になっているのが残念。ウダイの愛人サラブとの関係や、映画の最後に出てくるウダイへの逆襲などでラティフの人物像を広げてはいるのだが、これはもっと工夫の余地があったと思わせる。ふたりの対照的な生い立ちや置かれている環境を、より掘り下げていけばよかったのだ。例えば戦場にいるラティフと、安全な場所で毎晩パーティを繰り広げるウダイの対比。ラティフと家族の親密な関係に対して、ウダイと独裁者サダム・フセインの冷めた関係。そうした対比によって、ウダイの狂気もより肉付けされただろうし、ラティフの悲劇もより引き立っただろう。

 あらすじだけ見ると波瀾万丈の物語になりそうだが、映画の印象は意外なほど平板なもの。暴力シーンもあればサスペンスもあるが、結局は人物たちの内面が総体的に掘り下げ不足なのだ。リュディヴィーヌ・サニエが演じるサラブも、男臭い物語の中の彩りに終わってしまっている。残念な映画だ。

(原題:The Devil's Double)

Tweet
1月13日公開予定 TOHOシネマズ六本木ヒルズほか全国ロードショー
配給:ギャガ 宣伝:スキップ、KICCORITほか
2011年|1時間49分|ベルギー|カラー|シネスコ|ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://devilsdouble.gaga.ne.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
サントラCD:The Devil's Double
ホームページ
ホームページへ