サルトルとボーヴォワール

哲学と愛

2011/08/31 京橋テアトル試写室
20世紀の思想界をリードした世紀のカップルの真実。
理想の関係を維持するには骨が折れる。by K. Hattori

Tetsugakutoai  1960年代に世界の若者たちから、「理想のカップル」と呼ばれ崇拝されたサルトルとボーヴォワール。ふたりは通常の結婚制度に縛られることを嫌い、互いに自立したひとりの人間同士として尊重し、愛し合い、支え合う関係を作り上げた。互いの関係を必然的で運命的なものとして最大限に尊重するが、偶発的で刹那的な恋愛があったとしてもそれを互いに認め合うという奇妙な関係だ。サルトルとボーヴォワールのこうした関係がスタートしたのは1930年代。この関係は1980年にサルトルが亡くなるまで、ほぼ50年に渡って続いた。「結婚している夫婦が配偶者同意のもとに夫婦以外の性関係を持つ」というのは、1970年代にアメリカの社会学者が提唱した「オープンマリッジ」に似ている。サルトルとボーヴォワールは、それを40年も前に実行していたわけだ。

 サルトルとボーヴォワールは哲学者であり小説家であり政治運動家だが、映画はふたりの風変わりな夫婦関係と、華やかな交友関係に焦点を当ててる。物語の視点は常にボーヴォワールの側だ。主演は『シャネル&ストラヴィンスキー』でシャネルを演じたアナ・ムグラリスと、『パリの確率』などに出演しているロラン・ドイチェ。年齢的にはサルトルの方がボーヴォワールより3歳年上だが、映画の中でサルトルを演じるドイチェもムグラリスより3歳年上。しかし童顔のドイチェはムグラリスよりずっと幼く見える。結果として映画の中では、ボーヴォワールはサルトルより成熟した人物に見えることになる。「契約結婚」というサルトルの我が侭で子供っぽい提案を、自らの人生哲学に従って受け入れるボーヴォワール。劇中でボーヴォワールが人間的に大きく成長して行くのに対して、サルトルはいつまでも子供のままだ。ボーヴォワールはサルトルにとって、何でも許してくれる母親のような存在なのかもしれない。

 サルトルとボーヴォワールの関係は、自立した男女同士の対等なパートナー関係、最近で言えば「夫婦別姓論者の事実婚」みたいなものだ。正式な結婚をしない夫婦関係自体は日本にも昔から「内縁の夫婦」というものがあったし、夫婦が互いに公然と愛人を持つ習慣も19世紀のヨーロッパ貴族社会を舞台にした映画にはよく出てくるから珍しくも何ともない。ボーヴォワールの新しさは、彼女が自活できるだけの収入を持つ教師や作家だったという点にある。しかしこれは当時の社会ではかなり異色なこと。映画の中では友人の母が彼女に向かって、「わたしたちの階級の女は働きません!」と言い切っている。そうした中でボーヴォワールのような生き方を貫くには、強靱な自我(エゴ)が必要なのだ。サルトルもボーヴォワールも強烈なエゴイスト。彼らは自らのエゴのために、互いを利用し合っていたのかもしれない。彼らはやはりどうしようもなく「似たもの同士」だったのだろう。

(原題:Les amants du Flore)

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11月下旬公開予定 ユーロスペース
配給:スターサンズ 宣伝:テレザ
2006年|1時間45分|フランス|カラー
関連ホームページ:http://tetsugakutoai.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:サルトルとボーヴォワール 哲学と愛
関連書籍:ジャン=ポール・サルトル
関連書籍:シモーヌ・ド・ボーヴォワール
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