グッド・ハーブ

2011/05/27 シネマート試写室(シネマート六本木)
認知症になった母と娘の交流のはてにあるものは……。
メキシコの今を描いたホームドラマ。by K. Hattori

Goodherb  シングルマザーのダリアは、小さなコミュニティラジオ局のパーソナリティをしている。ラジオ局の収入だけではおぼつかないが、そのあたりは母と離婚し別れて暮らしている父の援助でやりくり。ダリアの母ララはインテリだ。メキシコでも名の知れた伝統ハーブの研究者として、今も研究と執筆の日々を続けている。だがある日ダリアが訪ねていくと、家の鍵をどこに置いたかわからないという。部屋に見ず知らずの男が入り込んでいたという話もあり、ダリアは随分物騒な話だと思うのだが、これらはすべて、その後に起きる出来事の前触れだった。ララはアルツハイマー型の認知症になっていたのだ……。

 認知症の母親と、母を介護する娘の話で、観ていて身につまされる部分も多い。メキシコでの一般的な老人介護問題や、家族制度の問題などはわからないところもあるのだが、出てくる人物たちの暮らしぶりや家族同士のつながりは日本とあまり違いがあるわけではない。ヒロインのダリアが子供を持つ身でありながらきちんとした生業を持たず、親や周囲の援助で不安定な生活をしているあたりは、今どきの日本でも似たような人たちがたくさんいそうだなと思う。

 映画は冒頭からヒロインの母親の死を観客に予告し、そこから過去に時間を移動させる。とはいえ映画は回想形式というわけではない。映画冒頭の電話の場面も、森の中にポツリと1台だけ街灯に照らされた公衆電話があり、空は晴れているのに雨が降っているという奇妙な光景。これはひとつの心象風景として、ここに挿入されているのだろう。映画が冒頭でこのように「死」を予告しているため、この映画は常に観客に「死」を意識させながら進行して行く。そのため映画の印象は常に重たい。物語全体がやがて来るべき「死」へと、少しずつ滑り落ちて行くのだ。

 映画にはもうひとつの「死」が描かれる。それはダリアと同じアパートに住む老女の思い出の中に住む、死んだ娘の物語。この少女はピンク色のドレス姿で映画の中に現れ、街の中をさまよう。映画はこの2つの「死」に引き寄せられるように、ラストの悲劇へと向かう。映画の中で大きく扱われているのは認知症に始まるヒロインの母親の死だが、ドレス姿の少女の死がそれに並行して描かれているところを見ると、これが単に認知症を描いているわけではないことがわかる。ここで描かれるのは、生きている人たちの生活に寄り添うように存在する、すぐ隣にある、しかし目には見えない「死」だ。それは手を伸ばせば、手の届くところにある。電話をかければ、親しく語り合える程度のところにある。でも人はそれを普段は、まったく意識しない。無意識のうちに、それを自分の視野の中から追い出している。  しかしその「死」は、決して忌まわしいものでも憎むべき者でもない。「死」は目に見えない世界から、生きている人たちをそっと見守っているのだ。

(原題:Las buenas hierbas)

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7月23日公開予定 シネマート新宿
配給:Action Inc.
2010年|2時間|メキシコ|カラー|HD|Dolby Digital SRD
関連ホームページ:http://www.action-inc.co.jp/hierbas/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
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