再生の朝に

ある裁判官の選択

2010/11/29 京橋テアトル
死刑囚からの臓器移植をモチーフにした中国映画。
地味な映画だが批判の目は鋭い。by K. Hattori

Saiseiasa  中国北部・河北省琢州市。裁判官のティエンは娘を盗難車によるひき逃げ事件で失い、アパートの小さな部屋に取り残された夫婦ふたりの生活は重苦しい。犯人は捕まらず、口さがない人々はティエンの判決に恨みを持つ者が娘を殺したのだとささやく。しかしティエンはその中でも淡々と仕事をこなすしかない。法を厳正に守り執行することこそ、彼の義務であり誇りでもあるのだ。その彼が新たに担当することになったのは、自動車2台の窃盗で捕らえられた青年チウ・ウーの裁判。現行法ではこれは死刑に該当する罪だが、間もなく施行される新しい刑法では上限が有期刑だ。ティエンは同僚たちと教義の上で、現行の旧法をもとにツウ・ウーに死刑判決を下すのだった……。ところがティエンの知らないところで、この裁判に大いに注目している男がいた。腎臓病で自分に適合する移植臓器を探している、資産家のリー社長だ。社長はチウ・ウー本人やその家族に働きかけて、彼の健康で新鮮な腎臓を売ってくれるよう働きかける。中国でも臓器売買は違法だが、そこは蛇の道は蛇。このままチウ・ウーの処刑が行われれば、必要な臓器は速やかに取り出される手はずも整った。だがその頃、チウ・ウーに死刑判決を下したティエンの心は揺れ動いていた……。

 1990年代に中国で実際に起きた事件をもとにしたドラマ。裁判官と裁判所、死刑囚とその家族、臓器入手のため裁判に干渉しようとする資産家の男と婚約者などが織りなす物語だが、「法廷もの」というわけではない。この映画の中では、裁判自体がじつにあっけなく終わってしまう。主人公ティエンが行う判決も機械的に淡々と行われるし、その後の上級審に至っては書類一枚で結果が知らされるだけだ。このあたりは中国と、日本や米国の裁判制度の違いだろう。だがこの映画は、そうした裁判制度そのものを批判しているわけではないようだ。批判されているのは、受刑者や死刑囚の臓器を金で売買する富裕層や、その片棒を担ぐ行政担当者の姿だ。

 中国で受刑者や死刑囚からの臓器移植が行われていることは、日本でも中国の抱える人権問題のひとつとして報道されている。中国で行われている臓器移植のなんと9割が、死刑囚からの臓器提供だという説もあるほどだ。臓器移植は死刑囚やその家族の同意を得ているというのだが、その「同意」がいかなる状況下で、どのように行われているのかという一端を、この映画は描き出している。それは本当の意味で、提供者本人の自発的な同意にもとづいた行為なのか。それともそこに、何らかの圧力が加えられているのか。死刑囚がいるから臓器を提供させるのか。それとも臓器提供のために、死刑囚が存在しなければならないのか。

 自分自身の病気を淡々と受け入れていた社長が、目の前に差し出された「囚人からの臓器提供」に心惹かれ、醜悪な姿をさらしてしまう様子に同情してしまう。囚人からの臓器提供で、患者もまた苦しむのだ。

(原題:透析 Judge)

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2月公開予定 シアター・イメージフォーラム、銀座シネパトス
配給・宣伝:アルシネテラン
2009年|1時間38分|中国|カラー
関連ホームページ:http://www.alcine-terran.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:再生の朝に
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