エッセンシャル・キリング

2010/10/28 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(Art Screen)
脱走したアフガンゲリラが生き延びるために取った行動とは……。
ヴィンセント・ギャロが主人公を好演。by K. Hattori

Tiff_2010  アフガニスタンの洞窟地帯で何かを探しているアメリカ兵たちが、たまたまその洞窟に隠れていたゲリラが殺される。アメリカ軍は武装ヘリを使ってゲリラを追跡。捕らえられた男は形式的な尋問を受けた後、目隠しされた上で、輸送機を使ってどこか遠い収容所へと運ばれていく。だが輸送中の事故で男は車両の外に投げ出され、男は命からがら近くに見える森の奥へと逃げて行く。そこはアフガニスタンの砂漠とはまるで違う、一面が雪で覆われた世界。数時間後にすっかり周囲が暗くなり気温が下がってくると、薄い囚人服姿の男は凍えながらアメリカ兵に投降しようとするのだが……。

 ひたすら逃げる男が、やむにやまれぬ理由から目の前の敵を殺し、さらに逃亡を続けて行くというサスペンス・アクション映画。『エッセンシャル・キリング』という題名は、「必要不可欠な殺人」という意味だろう。窮鼠猫をかむような状況での行為もあれば、偶然の事故や、正当防衛のようなものも多い。結果としてこの男は5〜6人を手にかけて殺しているのだが、この男自身は好戦的でも残虐でもないし、計算づくで行動しているわけでもない。彼が思い浮かべるのは、平和だった頃のアフガニスタンの風景ばかり。しかしそれは今は失われている。今はただ目の前の状況が、彼を凶悪な殺人者へと追いやってしまう。

 まったく無言のままひたすら逃げて行くアフガンゲリラの男が、都会の住宅地に逃げ込んでしまった手負いの獣のようで哀れだ。彼にはもうたどり着くべき安住の場所などない。どこまで逃げたところで、その道が故郷のアフガニスタンに続いていることはないのだ。決してハッピーエンドの訪れることなき、絶望的な逃避行。それは敵に殺されるか、力尽きて命果てるかまでの時間を、どこまで引き延ばして行くかというだけの旅だ。しかしそれでも、男は逃げる。少しでも自分の命を、先へ先へと延ばして行くために。1分でも1秒でも、己の命をこの世界につなぎ止めておくために。

 説明の少ない映画でもあり、この映画からどんな寓意を読み取るか、作り手のどんなメッセージを読み取るかの裁量権が、大幅に観客の側に与えられているように思う。ここから国際政治の縮図を読み取る人も、多いかもしれない。でも僕が強く感じたのは、ここでは「弱い者は殺さなければ生きられない」という現実の一面が描かれていること。アフガン人の男は、映画の中のどこを観ても常に「弱い立場」にいる。彼はいつだって、ビクビクし、オドオドし、自分以外の周囲のすべてが恐くて、怖ろしくて、自分が世界の中で押しつぶされそうな小さな存在だと感じている。彼が映画の中でホッとした顔を見せるのは、空腹を満たすためにアリ塚を崩して中のアリを食べるシーンぐらいだ。彼の世界の中では、自分より卑小な存在はアリぐらいしかいないのだろう。主演のヴィンセント・ギャロの存在感が光る。

(原題:Essential Killing)

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第23回東京国際映画祭 WORLD CINEMA
配給:未定
2010年|1時間23分|ポーランド、ノルウェー、アイスランド、ハンガリー|カラー
関連ホームページ:http://www.
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
関連DVD:イエジー・スコリモフスキ監督
関連DVD:ヴィンセント・ギャロ
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