ヤコブへの手紙

2010/10/06 京橋テアトル試写室
恩赦で出獄した元終身刑の女性と盲目の老牧師の交流。
罪と、赦しと、愛の物語。by K. Hattori

Yakobu  終身刑の判決を受けて服役しながら、恩赦で12年ぶりに刑務所から出てきたレイラ。身寄りのない彼女に与えられた新しい仕事は、盲目の老牧師の目のかわりとなって牧師に届いた手紙を読み、牧師の口述通りに手紙を書くというものだった。住まいは雨が降れば雨漏りがする古びた牧師館だ。仕事の手伝いにも気が向かず、郵便配達から届く手紙を捨ててしまったりするレイラ。だが牧師は自分の手もとに届く手紙が減ると、ひどく残念そうな顔をするのだ。ある日のこと、いつもは必ず束になった手紙を届けに来る郵便配達が手紙を配達に来なかった。ガッカリしながらも、「そんな日もあるさ。毎日手紙が来ると思ってはいけないね」と言う牧師。だが翌日も、その翌日も、牧師への手紙は届かない。レイラは郵便配達をつかまえると、「明日は必ず郵便を届けろ」と言うのだが……。

 アキ・カウリスマキなどごく一部の作家を除けば、日本にほとんど紹介されることのないフィンランド映画の1本。第82回アカデミー賞にフィンランド代表として出品されたほか、世界各地の映画祭で17の賞を受賞しているという作品だ。監督のクラウス・ハロはフィンランド人で、現在はフィンランドとスウェーデンを中心に活動しているという。作品数はそれなりにあるようだが(IMDbによればこれが4本目の長編劇映画だとか)、日本に紹介されるのは本作が初。出演者もまるで見かけたことのない顔なので、映画としてはじつに新鮮な気持ちで見ることができる。

 映画のテーマは、表向きは「罪の赦し」と「愛」だろう。主人公レイラは終身刑で服役していたわけだから、その罪状は「殺人」かそれに近い凶悪事件であることが最初からわかる。彼女が抱えた巨大な罪の重石が、映画の最後には取り払われて、彼女は新たな一歩を踏み出して行くことになる。罪の赦しはどこから来るのか。それは神から来る。映画がここで描くのは、信仰と、希望と、愛だ。この言葉は映画の中でも引用される、新約聖書の中の有名な聖句にぴったりと符合する。なんともキリスト教的な映画ではないか。

 映画はそれを、人間の「孤独」を通して浮き彫りにして行く。レイラは自らの罪に恐れおののき、自らを罰するかのように「孤独」の中に沈んでいる女性だ。一方ヤコブ牧師も決して孤高の聖人というわけではなく、手紙による人々とのつながりが断たれてしまった途端、すっかりしょぼくれてしまうひとりの孤独な老人に過ぎない。『人にはできない事も、神にはできる』(マルコ10:27/ルカ18:27)とヤコブ牧師は言うが、その「神の力」もまた「人」を通してしか働くことができないのだ。信仰と希望だけでは、人間の孤独は癒せない。

 『いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛』『このうちで最も大いなるものは、愛である。』(1コリント13:13)。

(原題:Postia pappi Jaakobille)

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正月第2弾公開予定 銀座テアトルシネマほか全国順次公開
配給・宣伝:アルシネテラン
2009年|1時間15分|フィンランド|カラー|シネマスコープ|SR、SRD
関連ホームページ:http://www.
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ヤコブへの手紙
関連DVD:クラウス・ハロ監督
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