花のあと

2010/08/31 新文芸坐
藤沢周平の同名短編小説を北川景子主演で映画化。
時代劇映画としてはぎこちなさが目立つ。by K. Hattori

Hananoato  藤沢周平の同名短編小説を、北川景子主演で映画化した時代劇。配給が東映だからこれは「東映時代劇」の1本というわけだ。同じ東映で少し後に公開された『必死剣鳥刺し』が男の時代劇だとすれば、『花のあと』は女の時代劇と呼ぶべきだろう。内容はすべて対照的だ。『必死剣鳥刺し』が藩の体制を揺るがす大きな事件を扱った内容だとすれば、『花のあと』はごく私的な出来事に端を発した小さな事件の物語。『必死剣鳥刺し』が陰惨で救いのない沈痛なエンディングだとすれば、『花のあと』のそれは穏やかで清々しい。しかし双方共に、失われた命は決して戻ってこないという寂寥と無常に貫かれているところは似ている。

 時代劇映画としては丁寧に作っているものの(この点はやはり東映時代劇)、映画の出来はあまりよくないと思う。監督の中西健二が時代劇慣れしていないせいか、時代劇映画の中ではごく当たり前に演じたり演出されたりすべき「時代劇らしさ」がギクシャクしてぎこちない。具体的に言えば、それは俳優たちの姿かたち、立ち居振る舞い、言葉遣いなどに現れる。また時代劇である以上、どうしても生じてしまう現代劇とは異質のテンポやリズムが、映画の中で調子を揃えることなくバラバラになってしまっている。時代劇特有のテンポやリズムとは、着物で歩くことによる歩幅の違いであったり、男性の場合は刀を腰にぶら下げていることによる腰の動きの違い(腰をひねると刀を振り回してしまうので、腰をひねらない動作が基本になる)、障子や襖の開け閉てなどが生み出すものだ。この映画ではそれらがいちいちギクシャクしている。時にそれは、滑稽に思えるほどの違和感がある。加世を演じた伊藤歩が行儀見習いのお稽古場に入ってくるシーンなどは、ぎこちなさが過ぎてギャグかと思ったほどだ。

 ヒロインの以登を演じた北川景子はいつも不機嫌そうなぼそぼそした喋りで、表情からも声からもおよそ感情というものが伝わってこない。これはこれでひとつの個性なのかもしれないが、映画導入部から年老いた以登を演じている(声だけ)藤村志保の表現力と比較されてしまったのは気の毒。このあたりはバランスを考えて、もう少し声の抑揚を抑えてもらうなど手心を加えてもらう必要があったかもしれない。友人の津勢を演じた佐藤めぐみの生き生きした現代っ娘風の振る舞いや、許嫁の片桐才助を演じた甲本雅裕の明るさや大らかさに比べ、北川景子の演技の「狭さ」はどうしても気になる。以登がほのかな思いを寄せる江口孫司郎役の宮尾俊太郎も、芝居ががちがちに固い。彼が北川景子とふたりの芝居をするシーン(花見と試合)は、映画を観ているこちらまで顔がこわばってしまいそうになる。これがヒロインにとって、一番輝いていた青春時代であろうに、その「輝き」が見えない。ほとばしる「エロス」が見えない。じつに残念な映画だった。

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2010年3月13日公開 丸の内TOEIほか全国ロードショー
(2010年2月27日公開 山形県先行ロードショー) 配給:東映
2010年|1時間47分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.hananoato.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:花のあと
主題歌「花のあと」収録CD:冬めく / 花のあと(一青窈)
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