ハロルドとモード

少年は虹を渡る

2010/06/10 京橋テアトル試写室
ハル・アシュビー監督のカルトムービー・クラシックス。
内容的には現代日本にピタリだ。by K. Hattori

Haroldtomaude  外交官だった父親の莫大な遺産を相続し、母親とふたりで何不自由なく暮らしている19歳の青年ハロルド。学校にも行かず、仕事もせず、友だちも恋人もいない。やることと言えば手の込んだ自殺の真似事で母親を脅かすことと、見ず知らずの他人の葬式に参加することぐらい。ある日彼は出かけた葬式で、モードという79歳の老婆に出会う。生きることを楽しむのに貪欲で、いつも意外な行動で驚かせるモードに、いつしかハロルドは心惹かれていくのだが……。

 アメリカン・ニューシネマを代表する映画作家のひとりハル・アシュビーが、1971年にバッド・コートとルース・ゴードン主演で撮った青春映画。脚本は『ファール・プレイ』や『9時から5時まで』のコリン・ヒギンズ。劇中に挿入される数々の曲は、シンガーソングライターのキャット・スティーヴンスが手掛けている。この映画が日本で初公開された当時どのような評価を受けたのかはよく知らないが(当時の映画雑誌をほじくり返せばわかるんだろうけど)、おそらくこれは現在の日本の若い観客の方が、より共感できる映画になっているのではないだろうか。

 生きる目的や意味を見失っているハロルド。家には父親がいないが、莫大な遺産を残してくれたので生活に困っているわけではない。強権的で支配的な母親から逃れたいと願いつつ、一方でその母親の愛情を得たくて仕方がないハロルド。自分には何をしたいという確たる意思もなければ、かといってそこから積極的に逃げ出してしまう度胸もない。要するにハロルドは「精神的にひ弱な草食系男子」みたいな存在。しかし彼がそうなった原因は、ガッツリと肉食系の母親にある。草食系の息子の首根っこを押さえて身動きができないようがんじがらめにした上で、「お前は早く自立した一人前の大人になれ」と言っているのだ。この映画の中では、世間のどこにでもある「大人と子供の関係」が戯画化されている。親は子供にとって保護者であると同時に、子供を自分の価値観で裁き、家庭という牢獄に閉じ込めようとする存在でもある。子供が大人になるには、子供が自らの力で親のもとから飛び出さなければならない。だがそのためには、家庭の外から差し出される誰かの手が必要なのだ。それは友人かもしれないし、恋人かもしれない。場合によっては教師ということもあるだろう。ハロルドにとって、モードはそのすべてを兼ね備えた存在なのだ。ハロルドはモードと出会うことで、母親の影響下から抜け出して、家の外へと飛び出していく。

 この映画を観て思い知らされるのは、男の子という生きものの繊細さだ。僕はハロルドとモードの男女逆転版(精神的にひ弱な少女がおじいさんと知り合って自立していく話)が、ちょっと考えられない。女の子は自分自身の力で自分の問題を解決してしまうような気もするけど(例えば『オズの魔法使』のドロシー)、それって僕が女性に幻想を抱いているだけなんだろうか?

(原題:Harold and Maude)

7月17日公開予定 新宿武蔵野館
配給:日本スカイウェイ、アダンソニア
配給協力:コミュニティシネマセンター 宣伝:メゾン
1971年|1時間31分|アメリカ|カラー|1.85:1|モノラル
関連ホームページ:http://sky-way.jp/ziggy/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ハロルドとモード 少年は虹を渡る
DVD:Harold and Maude
関連洋書:Harold and Maude
関連DVD:ハル・アシュビー監督
関連DVD:バッド・コート
関連DVD:ルース・ゴードン
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