祝(ほうり)の島

2010/05/13 京橋テアトル試写室
対岸に計画される原発に反対運動を繰り広げる祝島の暮らし。
ドキュメンタリー映画としては咀嚼力不足か。by K. Hattori

Hourinoshima  山口県の南部。瀬戸内海に大きく突き出している上関町(かみのせきちょう)は、本州の一部と大小の島からなる小さな町だ。平成17年度の国勢調査では、人口は3,706人。この町は1982年に原子力発電所の建設計画が持ち上がり、過疎化と高齢化と産業の衰退に悩む町は原発推進派と反対派に大きく二分された。建設予定地は町役場もある長島の西端で、島民たちが住む集落からは山ひとつ越えた向こう側。ところがこれに、同じ町に属する祝島の島民たちが大反対した。原発の建設予定地は、祝島の集落の真正面、海を隔ててわずか4キロの場所にあるのだ。原発ができれば、島民たちは四六時中、原発と顔を合わせて暮らすことになる。原発事故もこわいが、農漁業で生活を立てている島民たちにとっては「原発の町」の農産物に対する風評被害も大きな不安材料。しかし上関町の中で祝島は人口比で少数派(現在の人口は500人ほど)。町長は原発誘致に賛成だし、町議会も原発推進派が多数派となっている。祝島の原発反対運動は過激化し、過激すぎる闘争から脱落して距離を置く島民たちも出てくる。反対派はこうした島民たちに「原発推進派」というレッテルを貼り攻撃した。島全体がひとつの家族のように暮らしていた島民の暮らしは、原発建設計画によってずたずたに引き裂かれてしまう。

 そんなことを、僕はこの映画を観た後で、自宅に帰ってからネットであれこれ調べて知った。祝島というのは原発反対運動や環境保護運動に取り組んでいる人たちにとっては有名な島らしいので、そうした運動家たち(あるいは社会意識の高い人たち)にとっては、原発計画のあらましや島での原発反対運動の歴史などは説明しなくてもわかるのかもしれない。しかしこの映画で初めて祝島について知る人間にとって、この映画はあまりにも不親切だ。

 映画は原発反対の立場から作られているように思えるのだが、島内には原発推進派と呼ばれている人たちもいるわけだから、そうした人たちの声ももう少し取り上げてもらえた方がバランスが取れたかもしれない。(ひょっとすると映画の中で特に原発について発言していない人たちが、反対派が言うところの「推進派」なのかもしれないけれど。)いや、本当のところはそうではない。この映画に必要なのはバランスではなく、島が抱えているより大きな問題に踏み込んでいく気構えなのだ。ドキュメンタリー映画は「公正中立」が求められるジャーナリズムとは異なり、特定の立場や主張を一方的に宣伝したって構わない。原発反対の住民だけを取材するなら、それはそれでいいだろう。しかし映画の中にも描かれている島の大きな問題をあえて無視したまま、「島の暮らしはこんなものです」と見せられることには疑問が残る。

 これは祝島だけではなく上関町全体が抱えていることかもしれないが、要するに根本的な問題は過疎化と高齢化なのではないだろうか。

6月19日公開予定 ポレポレ東中野
配給:サスナフィルム
2010年|1時間45分|日本|カラー
関連ホームページ:http://www.hourinoshima.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:祝の島(ほうりのしま)
関連DVD:纐纈あや監督
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