チョルラの詩

2010/03/30 韓国文化院ハンマダンホール
1980年代のまだ貧しい韓国を舞台にした青春映画。
韓国ロケ、韓国俳優による、日本映画。by K. Hattori

Chorura  1987年。日本の高校で国語の非常勤講師をしている幸久は、文学作品の朗読や群読を主体にした授業で、生徒や他の教師たちからも評判のいい若手教師だ。校長からは来年正規の教員にならないかと誘われるが、幸久はこれに少し戸惑っている。彼がこの誘いに迷いを感じる理由はふたつある。ひとつは彼の本来の職業が「詩人」であること。教員との二足のわらじが可能だろうか。そしてもうひとつの理由は、彼が韓国籍を持つ在日コリアンであることだ。教員になるためには、日本に帰化して日本国籍を取得しなければならない。そんなとき、幸久は祖父の葬儀のため韓国に行くことになった。数年ぶりに再開した従兄弟のカンスは、間もなく開催されるオリンピックに向けた道路建設の現場で働いている。彼の幼なじみで初恋の女性でもあるソンエが、葬儀のために久しぶりにソウルから戻って着た。カンスは彼女に恋の歌を贈ろうと、幸久から詩作の指導を受けることになる。急接近して行く3人の若者たち。カンスの不器用だがストレートな愛情表現を間近に見ながら、幸久は自分もまたソンエに惹かれていくのを感じていた……。

 物語の舞台は99%韓国で、出演者も韓国のシーンについては韓国人の俳優ばかり。物語の語り手となる在日コリアンの詩人・幸久を演じているのは、韓国の人気俳優ソ・ドヨン。従兄弟のカンスにキム・ミンジュン。ヒロインのソンエを演じるのはキム・プルン。ふたりの男にひとりの女という、典型的な三角関係の恋愛青春ドラマだが、そこに経済発展を遂げていく韓国の現代史や、在日コリアンの問題を織り込んでいる。たぶん何も予備知識がなくこの映画を観れば、ほとんどの人がこれを韓国映画だと思うに違いないのだが、これは成り立ちとしては日本映画だ。監督は本作が2本目の川口浩史。

 どんな映画にも言えることだが、映画が成立するにはその映画が作られるための何らかの「必然」というものがあると思う。今この映画を作らねばならない、今この映画を世に問わなければならないという、作り手の思いがどんな映画にも込められているはずなのだ。どんなにチープな映画であれ、どんなに商業主義的で金儲け優先の映画であれ、映画には「今でなければならない」という切羽詰まった思いがあるものなのだ。しかし僕はこの『チョルラの詩』という映画から、それを感じ取ることができなかった。なぜ物語の舞台は1987年の韓国全羅道でなければならないのか。なぜ主人公は在日韓国人の青年でなければならないのか。なぜ物語の中心に「詩」というものが取り上げられているのか。僕にはそれがよくわからない。

 この映画で唯一目を見張るような部分があるとすれば、それは物語の舞台になっている全羅道の小さな村の様子だ。バス停から村に至る道が、潮の満ち引きに合わせて現れたり消えたりする風景。『千と千尋の神隠し』に出てくるような情景が、なんと現実に存在するのだ!

6月12日公開予定 シネマート六本木
配給:アールグレイ・フィルム
2010年|1時間42分|日本|カラー|ヴィスタ
関連ホームページ:http://www.choruranouta.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:チョルラの詩
関連DVD:making of チョルラの詩 ~キム・ミンジュン&ソ・ドヨン~
関連DVD:川口浩史監督
関連DVD:キム・ミンジュ
関連DVD:ソ・ドヨン
関連DVD:キム・プルン
ホームページ
ホームページへ