川の底からこんにちは

2010/01/21 ぴあ試写室
父が倒れて実家のしじみ工場を継ぐことになるヒロインの奮闘。
どうせ世の中、みんな中の下だ。by K. Hattori

Kawanosoko  上京して5年目の木村佐和子は、玩具メーカーのOLとしてダラダラとした日常を送っている。特にやりたい仕事もなく、目指すべき人生設計があるわけでもない。なんとなく上京して、何となく今の会社に入って、何となく同じ職場のバツイチ子持ち男と付き合っている。だがそんな佐和子のもとに、故郷の父が倒れたという連絡が届く。実家は父の経営するしじみのパック詰め工場。佐和子はそんな父にとって一粒種の子供なのだ。これを聞いた恋人の健一は、相談もせずに仕事を辞めると「佐和子の実家を手伝いたい!」などと言い出すではないか。仕方なく故郷に戻った佐和子。そこにはあまり思い出したくない、佐和子にとっての禁断の過去が待っていたのだった……。

 登場するキャラクターたちが、一人残らず超個性的。一言でいうなら「濃すぎる!」映画だ。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。濃すぎるキャラクターの共演は個性と個性がぶつかり合って、映画全体がまとまりの悪いチグハグなものになるか、はたまた個性と個性が打ち消し合って平板な映画になることも多い。ところがこの映画は、そうしたことがない。ひとつの皿の上に脂っこいフライやステーキや付け合わせの野菜ソテーが山盛りになった学生街の洋食屋の人気定番料理、ボリュームたっぷりのミックス・グリルみたいな映画なのだ。映画が始まったときはそういう印象はまったくない。むしろやる気のない、気だるい表情を浮かべたヒロインが、「しょうがないですから」と言いながらダラダラ日常を送っている淡泊な描写が続く。しかしこれは、ミックス・グリルで別皿にもられていた付け合わせのサラダみたいなもの。ヒロインが故郷に帰ってからはどんどん物語の脂っこさが増して、ギトギトと脂光りする展開になっていく。

 監督の石井裕也は1983年生まれでまだ若いのだが、この映画の中には「世の中のほとんどの人は中の下だ」という世界観がある。日本が総中流意識であることは変わらない。監督は映画製作前に周囲の人に聞いて回ったそうだが、ほとんどの人が自分の位置づけを「上の下」や「中の上」だと答えるらしい。しかし監督はそれを「見栄だ」と一蹴してしまう。実際はもっと自信がないはずだ。もっとあきらめの意識が強いはずだ。でもそれを認めたくないから、自分自身のみじめな姿と向き合いたくないから、自分は中の上だ、上の下だと言っている。

 この映画が痛快なのは、ヒロインが「私はどうせ中の下ですから!」と開き直ってしまうことにある。ヒロインに感化された登場人物たちが、それまでの建前や体面などかなぐり捨てて「今の自分の本当の姿」の向き合っていくことにある。丸裸になった人間は強い。もう捨てるものが何もないからだ。「私はどうせ中の下ですから。だからがんばるしかないから!」と奮起するヒロインを、つい応援したくなってしまう。世の閉塞感を打ち破る、開き直りパワーに脱帽。

GW公開予定 渋谷ユーロスペースほか全国順次ロードショー
配給:ユーロスペース、ぴあ
2009年|1時間52分|日本|カラー|1.85ビスタ|モノラル
関連ホームページ:http://kawasoko.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:川の底からこんにちは
関連DVD:石井裕也監督
関連DVD:満島ひかり
関連DVD:遠藤雅
関連DVD:相原綺羅
関連DVD:志賀廣太郎
関連DVD:岩松了
ホームページ
ホームページへ