見まちがう人たち

2009/10/19 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(Screen 3)
人はどれだけ正確に世界を見ているものだろうか?
第22回東京国際映画祭コンペ作品。by K. Hattori

Mimachiga  南米チリのバルディビア。町の中に出来た巨大なショッピングセンターと民営化された巨大病院を舞台に、年齢も性別も職業も異なる多くの人びとが織りなす人間模様をコミカルに描いたドラマ。中心となる何人かの人物たちが少しずつ接点を持ちながら映画は進行していくが、そこに何か「大きな物語」があるわけではない。映画は登場人物たちが持つ「小さな物語」の集積だ。個々の物語は、手術によって目が見えるようになった元盲人の戸惑い、容姿にコンプレックスを持つ女性の悩み、若い警備員と人妻の不倫交際、解雇要員として閑職に移動させられた中年男の奮闘などさまざま。抱えている問題も悩みも大きく異なる人びとだが、その中から人間なら誰もが持つひとつの大きなテーマが浮かび上がってくる仕掛けになっている。

 映画には『見まちがう人たち』という邦題が付けられているが、原題は「目の錯覚」(英語タイトルは『Optical Illusions』)という意味。映画に登場する元盲人というのが、この「錯覚」を象徴する人物だ。彼はごく幼い頃に失明していたため、大人になって目が見えるようになっても、物の形や色が持つ意味を認識できない。彼は目が見えているのに、目が見えなかったとき以上に生活に不便を感じるようになる。目で見える世界と、彼自身の中にある世界認識の間に大きなズレがあるのだ。目を閉じていれば真っ直ぐ歩けるのに、目を開くと歩けない。目が見えないときはスキーの達人だったのに、目が見えるようになると恐怖で足がすくんでしまう。妻との関係はぎくしゃくし、彼は「こんなことならずっと目が見えない方がよかった」と嘆くのだ。

 「目で見えている世界と、内的な認識のギャップ」というのが、この映画ですべてのエピソードに当てはまる共通したテーマだ。そこで問われているのは、「あなたが本当はどういう人なのか、あなた自身は知っていますか?」ということ。盲目のスキーヤーは視力を回復したことで、自分が何もできないでくの坊であることに気づいてしまった。いやより正確には、自分がでくの坊だという新しい自己認識を持つに至ったと言うべきだろう。彼ほど劇的でないにせよ、この映画に登場する他の人物たちはすべて、似たような「新しい自己認識」を外部から強制的に迫られる羽目になる。それは本人にとって大きな悲劇だ。何しろ昨日と今日とで、世界のあり方がまったく違ってしまっているのだから。

 というわけでテーマとしては結構シリアスな作品だが、各エピソードはユーモアたっぷりに描かれていて、シリアスではあっても深刻で重いものにはなっていない。この映画に似た作品としては、キャメロン・クロウの青春群像劇『シングルス』や、デパートで働く人たちを主人公にしたセドリック・クラピッシュの『百貨店大百科』などがすぐ思い浮かぶ。たぶん監督も、それらは意識はしてるのでしょう。

(原題:Ilusiones Opticas)

第22回東京国際映画祭 コンペティション
配給:未定
2009年|1時間47分|チリ、ポルトガル、フランス
関連ホームページ:http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=13
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:見まちがう人たち
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