泣きながら生きて

2009/10/15 京橋テアトル試写室
2006年にテレビ放送され好評を得たドキュメンタリー番組。
日本で働く中国人と故郷に残った家族の10年。by K. Hattori

Nakinaga  8年前に別れたとき、娘はまだ小学生だった。彼女は父と別れるのが悲しくて、空港で泣きじゃくっていた。父は異国で身を粉にして働き、故郷の妻と娘に収入のほとんどを送金し続けていた。故郷に帰りたい。妻や娘の顔を見たいと思わない日はない。しかし不法滞在状態になっている彼の身では、一度帰国したら最後二度と同じように働くことは出来ない。彼はひたすら働いて、働いて、働き続けて、故郷に送金し続けた。それから8年。娘は高校を卒業して大学生になるという。

 父の名は丁尚彪(ていしょうひょう)という。その運命は、少年時代の文化大革命によって大きく狂わされている。下放政策によって上海から貧しい農村に送り出され、雨水で飢えを凌ぐような悲惨な暮らしを経験した。文革が終わってようやく上海に戻っても、まともな学歴がない彼には、いい仕事に就くチャンスが与えられなかった。生活は貧しかった。35歳の時、街でたまたま日本にある語学学校の案内を手にする。日本で学んで大学に行こう。そうすればこの貧しい境遇から脱出できる。しかし渡航に必要な費用は、夫婦の10数年分の年収に匹敵する。それでも彼は親戚や知り合いから借金をして、なんとか日本に渡った。日本に行けば、何かが変わるはずだと信じていたからだ。

 だがそこで待っていたのは思いもかけない現実。北海道阿寒町にあった日本語学校は、過疎化で人口が激減している元炭鉱町が作ったもの。そこでは莫大な借金を背負って来日した留学生たちが、「働いて借金を返しながら学ぶ」ことなど到底不可能だった。故郷に帰るか? だがそれでは今後一生借金だけが残ってしまう。彼は日本で働き、故郷に送金することを決意する。それは彼が「不法滞在の外国人」になることを意味していた。「日本で学んで大学に行く」という彼の夢は脆く崩れた。しかし彼はその夢を、故郷に残してきた一人娘に託す。娘にはいい教育を受けさせて、外国の一流大学に留学させたい。そのために8年間、父は日本で働き続ける。娘は上海の進学校を卒業し、アメリカの大学への留学が決まった。

 娘はアメリカに渡る途中、日本で過ごす24時間のトランジットを利用して、父と8年ぶりの再会を果たしたのだ。8年ぶりに会う父は、ずいぶん年を取っていた。頑丈だった歯には隙間が空いていた。でも8年ぶりに会った父は、やっぱり彼女の父だった。8年間の空白は、あっと言う間に埋められた。でも翌日彼女は成田からアメリカに渡る。身分証の提示が求められる可能性がある空港まで、父は娘を見送ることが出来ない。父は空港の一駅前の成田まで娘を送る。「間もなく成田」という車内のアナウンスが流れる。父と娘の目から涙があふれる。列車は駅に着く。父がホームに出ても、娘はその顔をまともに見られない。悲しくて泣いている顔を、父に見せたくないのだ。

 2006年にテレビ放送されたドキュメンタリー番組を劇場公開。

11月28日公開予定 新宿バルト9
配給:ムーンビームス、ピクチャーズデプト 宣伝:る・ひまわり
2006年|1時間48分|日本|カラー|4:3
関連ホームページ:http://nakinagara.net/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:泣きながら生きて
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