カティンの森

2009/09/02 松竹試写室
冷戦に巻き込まれていくポーランドの悲劇の象徴。
それがカティンの森事件なのだ。by K. Hattori

Katyn  1939年9月。ドイツがポーランドに侵入して第二次大戦が勃発すると、ドイツと密約を結んでいたソ連軍もポーランドに侵攻した。小国ポーランドは抵抗らしい抵抗をする間もなく、あっと言う間に独ソ二国に分割占領されてしまったという。この時、ソ連占領地となった東部で捕虜になったポーランド軍人は18万人。彼らはソ連領内に移送され、各地の収容所に送り込まれた。だが1941年6月にドイツがソ連との不可侵条約を破って領内に攻め込んだことで、ソ連も連合軍に加わって対独戦争に参加することになった。捕らえられていたポーランド軍の捕虜は、この時一斉に釈放されたのだが、ポーランド軍部隊を編成するため必要不可欠な将校たちの数が足りない。その数ざっと1万数千人。ソ連の収容所にいる間に、ポーランド人将校たちが姿を消してしまったのだ。ポーランド側はソ連に何度もこの件を問い合わせたが、消えた将校たちの行方はつかめなかった。1943年4月、ドイツ軍はソ連西部スモレンスク近郊にあるカティンの森で、おびただしい数のポーランド人将校たちの死体を発見する。ドイツはこれを、ソ連による虐殺だとして宣伝に利用し始めるのだが……。

 ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督が、現代史のミステリーとも言うべき「カティンの森事件」を映画化した歴史ドラマ。この事件がミステリーになってしまったのは、事件発覚直後からドイツとソ連がこの事件を戦争宣伝に利用したためだ。ドイツは事件をソ連の仕業だと世界中に宣伝したが、その後この地を奪回したソ連は、逆にドイツの非人道的な犯罪を非難した。戦後のポーランドは共産化してソ連の衛星国になったため、宗主国(?)であるソ連を非難することは出来ず、カティンの森の虐殺はドイツが行ったことにされてきた。同じポーランド国内にあるアウシュビッツでは、膨大な数のユダヤ人たちが殺されているのだ。そのドイツが、ポーランド人将校を殺しても不思議はない。ナチスは大学教授などポーランドの知識層を逮捕し処刑している。ナチスはポーランド人将校を殺すだけの動機があったのだ。

 しかしこの事件は、ソ連の手によるものだったと今では明らかになっている。真相が明らかになったのは、共産主義が崩壊して冷戦が終わった1990年代になってからだった。事件が起きてから40年以上たって、ようやく事件の全貌がわかり始めてきたのだ。

 アンジェイ・ワイダ監督の父親も軍人で、カティンの森事件で処刑されたのだという。しかしその死の真相を追求することは、ポーランド国内では20年前までタブーだった。カティンの森事件を歴史の闇の中に葬ることで、ポーランドは東側の一員であり続けた。この映画はそんなポーランドの暗い歴史を描いている。事件は映画の中盤で起きる。それ以降は、ポーランド人がどのようにしてこの事件を隠蔽しようとしてきたかという苦々しい記憶の再現なのだ。

(原題:Katyn)

12月5日公開予定 岩波ホール
配給:アルバトロス・フィルム 宣伝:テレザ、グアパ・グアポ
2007年|2時間2分|製作国|カラー|シネマスコープ|サウンド
関連ホームページ:http://www.iwanami-hall.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:カティンの森
DVD (Amazon.com):Katyn
原作:カティンの森(アンジェイ・ムラルチク)
関連DVD:アンジェイ・ワイダ監督
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