アドレナリン

ハイ・ボルテージ

2009/08/11 SPE試写室
大真面目に徹底してバカバカしいことをする痛快さ。
前作未見ながらこれには大満足。by K. Hattori

Crank: High Voltage  ジェイソン・ステイサム主演のアクション・コメディ(?)映画『アドレナリン』の続編。スタッフやキャストは前作のままの正統派だが、僕は前作を観ていないのでどちらが面白いのかはよくわからない。ただこれ、前作なんて観てなくてもまるでお構いなしに面白い。話が単純でわかりやすいのだ。たぶん前作を観ていれば、それぞれのキャラクターのエピソードなどで「そうそう、こんなノリだった!」と楽しめる部分も多いんだろうけど、これもどのキャラも徹底して誇張してあるから前作なんて知らなくてもまるで平気なのだ。

 物語論の教科書によれば、物語の主人公を動かす動機となる要素の定番は「過剰」か「欠如」のどちらかだという。「過剰」なら、主人公はそれを捨てなければならない。「欠如」なら、主人公はそれを補充しなければならない。前作『アドレナリン』は、劇物を注入された主人公がそれを解毒するまでの間、体内にアドレナリンを出し続けなければならないという設定だった。つまりこれは「過剰」なのだ。対して今回の『アドレナリン:ハイ・ボルテージ』は「欠如」の物語だ。主人公は何者かに心臓を奪われ、それを取り戻さなければならない。しかも奪われた心臓の替わりに取り付けられた人工心臓は、バッテリーがすぐに切れてしまうのですぐ充電の必要がある。心臓の「欠如」が物語の大きな道筋を作り、電源の「欠如」が主人公を過激な充電行為に駆り立てるという二重の動機付けになる。主人公が物語の導入部で恋人を失っているというのも、これが「欠如」のドラマであることを補強する。

 物語自体はまるでマンガみたいなものだから、そのリアリティについてあれこれ言っても仕方ない。そもそも主人公のシェブは、飛んでいるヘリコプターから墜落して地面に叩き付けられても死なずにピンピンしているような男なのだ。どんなに危険な目に遭っても、どんなに破壊的なダメージを受けても、主人公がピンシャンして次々アクションを繰り広げる映画といえば、サイレント時代のスラップスティック・コメディだ。この映画はサスペンス・アクションの顔をして、じつのところやっていることはスラップスティックなのだ。007シリーズのアクションも、ダニエル・クレイグ主演の新シリーズ以前には「ボンドが決して死なず、傷つきもしない」という意味でスラップスティックだった。でもボンド映画の中には善人がいて、悪人がいて、世界的陰謀があって……というサスペンス・アクションの枠組みが強い。ところが『アドレナリン』では主人公はプロの殺し屋で、それを追い掛けるのもマフィアや殺し屋たち。ここでは「善と悪の戦い」という枠組みが崩壊していて、次から次に繰り出されるアクションだけが純化されている。

 やっていることは徹底したオバカ。それを大まじめにやっているのがいい。その姿勢はバスター・キートンやハロルド・ロイドなど、サイレント喜劇の巨人たちに通じるものだ。

(原題:Crank: High Voltage)

9月26日公開予定 新宿バルト9ほか全国順次ロードショー
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
2009年|1時間36分|アメリカ|カラー|DTS、SDDS、ドルビーデジタル
関連ホームページ:http://www.sonypictures.jp/movies/crankhighvoltage/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:アドレナリン:ハイ・ボルテージ
前作DVD:アドレナリン(2006)
サントラCD:Crank: High Voltage
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