千年の祈り

2009/08/06 京橋テアトル試写室
アメリカで暮らす娘を訪ねてきた中国人の父親。
小津の映画を連想させる小品。by K. Hattori

A Thousand Years of Good Prayers  アメリカで暮らす一人娘が離婚したと知って、北京から年老いた父親がやってくる。少しでも娘の側にいて元気づけたいと願う父だが、娘はむしろそんな父の訪問を疎ましく思う。「なぜ離婚したんだ。亭主が浮気したのか?」「性格の不一致よ」。肝心の会話はそこで途切れてしまう。仕事に出た娘の帰宅を待つ間、父は娘の家の近くを歩いて回る。中華鍋を買って娘のために料理を作ってやる。朝食の支度をしてやる。だが娘はほとんどそれらに箸を付けない。片言の英語しか喋れない彼には、娘の家にいてもたいしてやることがない。近所に住むイラン人の老婦人と仲良くなり、公園のベンチで互いに片言の英語でおしゃべりをするようになる程度だ。だが父は間もなく、娘が隠していた重大な秘密を知ってしまうのだ……。

 中国出身でアメリカ在住の作家イーユン・リーが英語で書いた短編小説を、中国出身で現在はハリウッドでも映画を撮っているウェイン・ワンが製作・監督したホームドラマ。脚色は原作者のイーユン・リー本人が担当している。物語の主人公は北京からアメリカの娘を訪ねてきた父親だが、原作者や監督が自分自身を重ね合わせているのはアメリカに生活拠点を持っている娘の側だろう。自分の生まれ育った国や文化を離れ、異教の地に根を下ろして新しい生活を築いていく自由と、その自由の代償としてついて回る孤独や不安。映画は十数年をアメリカで過ごしている娘と、アメリカに来たばかりの父の対話を描いているのだが、アメリカ暮らしが身に染みついている娘にしても、かつてアメリカに来たばかりの頃には父親と同じ目でアメリカを見ていたはずなのだ。この物語は父と娘の対話という形を借りて、アメリカで暮らしている中国人の現在と過去を描いている。アメリカに来た父親は娘の享受する「自由」の意味が理解できないが、娘もかつては同じようにその「自由」を理解できなかっただろう。

 この映画は自由を否定しているわけではない。しかし与えられた自由が、良い結果だけを生み出すわけではないことを描いている。イランの政変を逃れてアメリカで暮らしている老婦人は、頼りにしていた息子に結果としては裏切られる。それが「自由」ということなのだ。主人公の娘も同じ「自由」によって失ったものがある。そして父親もまた同じこと。彼の父は共産中国建国と同時に職を失い、彼自身も文化大革命の中で不遇な目に遭っている。しかし彼は自分がマルクス主義を信奉する共産主義者であることに誇りを持っているし、紅衛兵時代の赤いスカーフを今も大切に持っていたりする。自由が幸福を意味するわけでもなければ、抑圧が不幸を意味するわけでもない。人間の幸と不幸は、もっと複雑なものなのだ。

 父娘の対話は小津安二郎の映画を連想させるが、ウェイン・ワン監督はそれを十分意識しながらこの映画を撮っているようだ。父を演じたヘンリー・オーはさながら小津映画の笠智衆のようだ。

(原題:A Thousand Years of Good Prayers)

11月公開予定 恵比寿ガーデンシネマほか全国順次ロードショー
配給:東京テアトル 宣伝:ザジフィルムズ
2007年|1時間23分|アメリカ、日本|カラー|ビスタ1:1.85|Dolby Digital
関連ホームページ:http://sennen-inori.eiga.com/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:千年の祈り
DVD (Amazon.com):A Thousand Years of Good Prayers
原作:千年の祈り(イーユン・リー)
原作洋書: A Thousand Years of Good Prayers: Stories (Yiyun Li)
関連DVD:ウェイン・ワン監督
関連DVD:ヘンリー・オー
関連DVD:フェイ・ユー
関連DVD:ヴィダ・ガレマニ
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