グラン・トリノ

2009/04/16 ワーナー試写室
クリント・イーストウッドによる古き良きアメリカへの挽歌。
白人のアメリカは滅び去るのだ。by K. Hattori

グラン・トリノ (クリント・イーストウッド 監督・主演) [DVD]  クリント・イーストウッドの監督主演最新作は、黒澤明の『生きる』を連想させる重厚で感動的なヒューマンドラマだった。デトロイト郊外の住宅地で一人暮らしをしている偏屈老人が、所有するヴィンテージカーを盗みに来た隣家の少年と親しくなる話だ。老人の名はウォルト・コワルスキー。長年フォードの組立工として働いてきた彼にとって、自宅ガレージに保管されている'72年型フォード「グラン・トリノ」は彼が関わった素晴らしい仕事のひとつ。ピカピカに磨き上げた車を自宅前に停車させ、玄関脇のポーチからビールを飲みながらそれを眺めるのが、彼にとっては至福の時となっている。しかしかつては自動車の町として栄えたデトロイトも、工場の生産規模が縮小され、住宅地は非白人が占める割合が多くなってきた。隣に住むのは英語さえろくに喋れないアジア系の一家。しかしウォルトはその家の長男タオに対し、我が子以上の愛情を注ぎ込むことになる。

 『生きる』との共通点はいくつもあるのだが、最大の共通点は「自分の死を意識した男が人生の最後に死にものぐるいで何かを成し遂げる」という点だろう。'92年の『許されざる者』以降のイーストウッドは、監督主演作のいくつかで「老い」や「死」の問題を取り上げている。しかしそうしたテーマが、『グラン・トリノ』ほど明確に前面に押し出された作品はなかったかもしれない。この映画は導入部で主人公の妻の葬儀が登場し、ここから既に「パートナーであった主人公の死」への布石が打たれているわけだ。彼がしばしば咳こんで血を吐いたり、医者に行って何らかの診断を受けたりするシーンも、着実に近づいてくる「主人公の死」を観客に強く意識させるし、それはまた劇中で主人公自身が強く意識していることでもある。「男が人生の最後にやるべきことは何か?」と、主人公ウォルトは考えざるを得ないのだ。

 主人公の愛車「グラン・トリノ」は、彼にとっての輝かしい過去の象徴であると同時に、古き良きアメリカ文化の象徴でもある。エスニック系の住人が増えて白人がほとんど住まなくなってしまった住宅地で、磨き上げられた「グラン・トリノ」は、そこだけが昔ながらのアメリカであることを誇示するように光り輝いている。しかしその輝かしいアメリカはもう滅びてしまい、次の世代に受け継がれることはない。

 この映画が『生きる』と大きく異なる点は、『生きる』が死を意識した男の奮闘を通して「人間の死」を描いているのに対して、『グラン・トリノ』が「アメリカの死」を描いていることかもしれない。「年老いたウォルト」は「年老いたアメリカ」の比喩であり、彼がアジア系移民の子供の世話を焼くという物語は、アメリカがいずれその主導権を非白人に譲り渡していくことを示す予言なのだ。新しいアメリカ人がアメリカの流儀を身に着けるなら、彼らにアメリカを譲り渡してやればいい。それがこの映画のメッセージだ。

(原題:Gran Torino)

4月25日公開予定 丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画 宣伝:ドラゴンキッカー
2008年|1時間57分|アメリカ|カラー|シネマスコープ|SRD、DTS、SDDS
関連ホームページ:http://www.grantorino.jp/
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:グラン・トリノ
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