ダルフールのために歌え

2008/10/16 TOHOシネマズ六本木ヒルズ(PREMIER)
第21回 東京国際映画祭
バルセロナのある1日を無数にサンプル・ピックアップ。
おそらくは登場人物最多の群像劇。by K. Hattori

 スペイン北東部の都市バルセロナの1日を、膨大な数の登場人物を数分から数十秒という細かい時間でリレーしながら描く、究極の群像劇でありオムニバス映画。タイトルは現在もスーダン西部で続くダルフール紛争にちなんだもので、劇中ではその日にダルフール救済のためのチャリティーコンサートが開催されるという設定になっている。街はコンサートの話題で持ちきりだが、誰もダルフールの惨状に関心を示さない。誰もが今日という日を、ダルフールとは無関係に生きている。

 映画のストーリーとしては、冒頭に近いエピソードでコンサートのチケットを盗まれた女性が、映画の最後に再び登場する循環型の構成になっている。この女性が「私はダルフール救済コンサートに行こうとしながら、じつはダルフールのことなんて何も知らなかった」と告白するのが、この映画のひとつのテーマなのかもしれない。問題はダルフールのことに限らない。現代人は互いの隣人について、今やまったく無関心なのだ。街の中ですれ違う見ず知らずの人々。我々は街の中で何百何千という人々と、ただすれ違うだけの毎日を送っている。それは街の風景の一部ではあっても、自分の人生と係わりのある「誰か」ではない。しかし我々が「風景の一部」と見なしているモノのひとつひとつに、じつはかけがえのない人生があり、今この時を生きる切実な時間があるのだ。しかし人はなかなかその事実に気づかない。

 TVCMにはスライス・オブ・ライフ(a slice of life)という表現手法がある。日常の中にある何気ない風景を切り取って、15秒や30秒、場合によっては1分程度のCMに仕上げる。その15秒なり30秒という短い時間の中で、いかに濃密な時間を描き出すかがCM作りの腕の見せ所だ。この映画はそうした短いけれど濃密な時間を積み上げて、バルセロナという都市そのものを立体的に浮かび上がらせていく。そこには街で生活している人々がいる、外国から街を訪れる観光客がいる、ビジネスマンがいる、犯罪者もいる、犬もいる……。それぞれが持つ小さな小さな時間を持ち寄って、1本の映画ができあがる。これは面白い手法の映画だ。このアイデアは他でも使えるかもしれない。しかしそれが、この映画の面白さには直接つながっていないのが残念。

 僕はこれを観ても結局は、「実験的な映画だなぁ」という以上の感想を持てないのだ。大きな物語がないし、各エピソードに共通する何かしらのテーマがあるわけでもない。むしろこの映画においては、登場人物たちに何の接点も共通点もないということに意味があるのだろう。しかしそれでは映画を観ている側が、映画の中に入っていく糸口やきっかけが作れない。この手法でやるなら全体の尺を半分以下に縮めて短篇にするべきだろうし、これだけの尺を費やすなら各エピソードにもう少しボリュームを付けてオムニバス映画としての完成度を追求して欲しい。

(原題:Sing for Darfur)

第21回東京国際映画祭 コンペティション
配給:未定
2008年|1時間22分|オランダ、スペイン|B&W、カラー
関連ホームページ:http://www.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=21
関連ホームページ:The Internet Movie Database (IMDb)
DVD:ダルフールのために歌え
関連DVD:ヨハン・クレイマー監督
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