ハムーンとダーリャは隣同士に暮らす幼なじみ。かつては親同士がふたりの結婚を約束していたが、ハムーンの両親が亡くなり家が貧しくなったことから、ダーリャの母や兄は貧しいハムーンを疎ましく思うようになる。村一番の美少女に育った娘には、結婚を申し込んでくる資産家の息子たちがいくらでもいる。本人たちがどう考えようと、娘にはそれにふさわしい結婚相手を探さねばなるまい。だがハムーンに会うことを禁じられたダーリャは、ある日原因不明の病気になってしまう。まじない師が言うには、ダーリャを救うにはいくつもの砂漠を越えて、薬になる小魚を生け捕りにしてくるしかない。ハムーンは愛するダーリャを救うため、この苦難に立ち向かう。だがそんなハムーンを、ダーリャの兄や他の求婚者たちが追う。はたしてハムーンはダーリャを助けて、彼女を妻として迎えることができるのだろうか?
一応現代のイランを舞台にした物語だが、その筋立ては神話や昔話のようだ。美女に群がる求婚者たちが、彼女のために多くの苦難を乗り越えて宝物を手に入れようとする話なら、日本にも「竹取物語」という例がある。勇者は愛する女性のために、命がけの冒険をしなければならないのだ。旅に出た勇者が故郷に戻ってくると、愛する女性に大勢の求婚者がいたという話なら「オデュッセイア」だ。映画上映後の監督ティーチインによれば、監督はこの試練により神話的な意味合いを持たせるために、試練の数を7つにしたのだとか。7つの試練を乗り越えて、少年はたくましい男へと成長するのだ。少年は無事に冒険を成し遂げ、愛する少女の正式な求婚者となる資格を手に入れる。だが物語の結末で、少年は村を離れて新たな旅に出てしまうのだ。いったこれはどういうことだろう。
結局のところこれは、現代社会を舞台に古代の神話世界を持ち込んだことによる当然の結末なのだ。男は女のために命がけの冒険をして、強くたくましくなって戻ってくる。ではその時、女はどうすればいいのだ? 愛するハムーンから引き離され、メソメソと泣いているだけだったダーリャは、ハムーンの命をかけた求愛にどう応えるべきだろう。彼女の病気が治って、それでめでたしめでたしなのだろうか。おそらくそれでは、観客の誰も納得できまい。ハムーンとダーリャが結ばれるという結末を求めながら、あまりにも弱く、受け皆ままのダーリャに僕は物足りなさを感じてしまうのだ。愛する人のため世界を旅したハムーンはひ弱な少年からたくましい大人の男へと成長したのに、ダーリャはまだ幼い女の子のままではないか。
この物語を終わらせるには、ダーリャもまた家を出て命がけの冒険をする必要がある。彼女がハムーンにふさわしい強くたくましい女へと成長しない限り、この物語はハッピーエンドを迎えられない。映画は観客が想定するより大きな物語の前半のみ。だが物語の後半は、観客が自分で考えるしかない。
(原題:Hamoon-o-Darya)
DVD:ハムーンとダーリャ
関連DVD:エブラヒム・フルゼシュ監督 |