1992年夏。アラスカ州の山岳地帯でヘラジカ猟をしていたハンターが、山中に廃棄してあるバスの中で死んでいる若い男を発見した。所持品などから、遺体の身元はヴァージニア州出身のクリス・マッカンドレス(24)、死因は餓死だということがわかった。大学を卒業後、全米各地をひとりで放浪していたクリスは、春先からたったひとりでアラスカの山地に入っていたのだ。映画はこの事件を入念に取材したジョン・クラカワーのノンフィクション「荒野へ」を原作に、ショーン・ペンが脚色・監督したロードムービーだ。
映画はふたつの時空を行き来する。ひとつはアラスカの原野に足を踏み入れたクリスが廃棄された古いバスを見つけ、そこをねぐらに狩猟と採取のサバイバル生活を送りながら、やがて衰弱して餓死していくまで。これと平行して、クリスの生い立ちやアラスカにたどり着くまでの道のりを、少年時代から順に追っていくエピソード群がある。こうした構成にすることで、映画の中での「アラスカの生活」の意味合いが少しずつ変化していくのだ。クリス・マッカンドレスの放浪と死については賛否両論の意見があるようだが、映画の中でクリスの旅を追体験する観客もまた、賛否両方の意見の間を揺れ動いていくことになる。
映画はクリスの旅を「現実逃避」として描き始める。支配的な親に対する反発や反抗、現実社会への不適合から、クリスの旅は始まるのだ。彼は目の前の現実から逃げる。逃げ続ける。その姿は人間嫌いの精神的引きこもりのようですらある。しかし映画を観ている内に、観客はクリスがただの怒れる若者や現実から逃げ回るだけの甘ったれではないらしいことに気づくだろう。彼は旅を通じて何かを模索している。彼の旅は逃避ではなく、「探求と挑戦」の連続なのだ。自分自身の持つ可能性の限界を知り、それを乗り越えたいという若者らしいチャレンジ精神。その生き方は逃避という後ろ向きなものではなく、むしろ積極果敢で前向きなものだ。そしてアラスカにたどり着いたクリスにとって、旅は再度その意味合いを変える。アラスカの原野は彼にとって、自分が大人になるために乗り越えておかなければならない最後の挑戦、肉体的にも精神的にも生まれ変わるため必要な「通過儀礼」の場になっている。
通過儀礼は象徴的な死と再生を経由するわけだが、残念なことにクリスはその死を象徴的なものではなく、現実のものにしてしまった。しかしそれだからこそ、クリスの旅は永遠に大人になることのない「青春の原型(プロトタイプ)」として多くの人の興味と関心を引きつける。誰もがクリスの生き方の中に、彼の無謀さの中に、彼の優しさの中に、自分自身の青春の姿を見つけることができるのだ。
もちろんこれはクリス・マッカンドレスという青年の死に対する、ショーン・ペンなりの解釈だ。劇中のクリスの姿には、ショーン・ペン自身の青春も投影されているに違いない。
(原題:Into the Wild)