1967年、NBAに対抗するプロバスケットリーグとしてABA(アメリカン・バスケットボール・アソシエーション)が設立された。しかしながらABAは人気と実力の双方でNBAの後塵を拝し続け、リーグ設立から10年とたたないうちに経営破綻。1976年にはリーグがNBAに吸収合併されることが決まる。ただしNBAが引き受けるのは4チームのみで、残るチームは76年のシーズンを以て解散となった。
『俺たちダンクシューター』はそんなアメリカプロバスケット史の実話を元にしたコメディ映画。ABA所属の弱小チーム、フリント・トロピックスが、ABA最後の年にNBA昇格目指して奮闘するという物語だ。ドラマの軸になるのは3人の選手たち。個人的な道楽でチームを買収したオーナー兼コーチ兼選手のジャッキー・ムーン、NBAの優勝チームに所属した経験もある(ただしずっと補欠)ベテラン選手のモニックス、チームのポイントゲッターでNBA入りを夢見ている若手選手クラレンス。彼らの活躍によって、おんぼろリーグのお荷物だったトロピックスが生まれ変わっていくのだ。
しかしこの映画が実際の歴史を下敷きにしている以上、それを大きくねじ曲げることは出来ない。ABA解体後NBAに編入された4チームの中に、フリント・トロピックスの名はないのだ。主人公たちの努力は報われない。彼らの奮闘はNBAへの昇格という結果を生み出すことがない。「成功」こそがハッピーエンドの条件だとしたら、この映画の主人公たちはその「成功」に見放された敗者と言うしかない。でもそうなのか? 目標が達成されなければ、努力が報われなければ、それまでのことはすべて無駄で意味のないものになってしまうのだろうか?
映画はこの問題を、NBA昇格という目的実現のために必要な上位4チーム入りという手段を自己目的化することで乗り越えてしまう。目的のために手段があるはずなのに、手段自体を目的にしてしまうという姑息なやり方だ。とりあえず、表面的にはそういうことでしかない。これは負け組の自分に対するごまかしなのだ。しかし不思議なことに、僕はトロピックス最後の戦いに自己欺瞞のニオイを感じることがない。むしろ彼らはNBA昇格以上に大切な目的を、最後の試合に勝つことの中に見出そうとしているのだと思う。
結局彼らがバスケットを通じて求めようとしていたのは何か? それはチームのモットーである、「みんながみんなと愛し合おう」ということなのだ。ひとつの目標に向かって、チームが一丸となって戦う。互いが持っている力や才能に敬意を払い、お互いの力を引き出し高めあう。その最高の形が、最後の試合で披露される新作戦(実際にこの時代に発明された大技だ!)であり、最後のシュートなのだ。ギャグ満載だけど、スポーツ映画として結構ちゃんとできている。ウディ・ハレルソンも爽やかです!
(原題:Semi-Pro)