赤ん坊の頃から児童福祉施設で過ごしているエヴァンは、身の回りのすべての音が音楽に聞こえてくるという特殊な能力の持ち主。彼は自分にこの能力を授けてくれた両親が、いずれは自分を迎えに来てくれるという確信を持っていた。ある夜のこと、エヴァンは自分を招く音楽の起源をたどるため、施設を抜け出しニューヨークの街中にやってきた。そんな彼を迎えたのは、公園でギターを弾く同年配の少年アーサー。エヴァンは彼に誘われるまま、親を失った子供たちが共同生活する劇場跡にやってくる。そこで出会ったのが、子供たちから魔法使いと呼ばれている中年男マックスウェル・ウォラスだ。彼はエヴァンの並外れた才能を即座に見抜き、オーガスト・ラッシュという芸名を付けて売り込み活動を始めるのだが……。
『ネバーランド』や『チャーリーとチョコレート工場』のフレディ・ハイモアが主演した、音楽と家族についてのおとぎ話。遠く離れていても運命によって結びつけられ、引き合わされる不思議なつながりを、音楽を使って表現していくアイデアは面白い。まったく別の場所で演奏され歌われる音楽が重なり合い、響き合い、豊かなメロディとハーモニーを奏でていく。エヴァンの両親であるライラとルイスが実際に出会って愛し合った時間はたった一夜のことに過ぎないのだが、音楽の効果によって、観客はこのふたりがそれよりずっと前から結びつけられる運命だったことを知っている。
主人公エヴァンが耳にする音が、音楽に変貌していく場面はスリリング。映画の冒頭で麦畑を通り抜けていく風の音が音楽になるシーンに引き込まれるし、このシーンに説得力があるからこそ、電線が風を切る音に惹かれて彼が施設を抜け出すシーンにも納得ができる。圧巻はニューヨークの雑踏に響き渡るありとあらゆる音が、エヴァンの耳に音楽として聞こえてくる場面だ。人々の足音、話し声、叫び、携帯電話の呼び出し音、車のエンジン音、クラクション、警備員の笛の音、サイレン、道路工事のドリルの音などなど、音と音が重なり合って壮大なハーモニーへと高まっていく。天才音楽家の頭の中をのぞき見るような興奮は、映画『アマデウス』のクライマックスでモーツァルトが「レクイエム」を作曲するシーンに匹敵するかもしれない。
物語はおとぎ話そのものだが、そこに現実世界の残酷さが織り込まれていることで、この映画は単なる絵空事ではない生々しい「痛み」を感じさせるものになっている。エヴァンという希有な才能に出会った途端、金の亡者になってしまうマックスウェル。彼もまた、親に捨てられた孤児だったのかもしれない。あるいはエヴァンを気遣う福祉事務所の職員、リチャードが抱えた悲しみ……。
どんなおとぎ話も、その背後には悲しく辛い人間の営みが隠されている。だからこそ人はおとぎ話のハッピーエンドに、心から拍手喝采することができるのだ。
(原題:August Rush)