アフガニスタンでの戦い(『ランボー3/怒りのアフガン』1988)から20年。元グリーン・ベレー兵士のジョン・ランボーは、数々の戦場で味わった苦い記憶と共にタイでひっそりと暮らしていた。だが彼の案内でミャンマーに入ったアメリカ人ボランティアグループが軍人たちに誘拐されたことから、救出のため雇われた5人の傭兵をボートに乗せてランボーは再びミャンマーへ向かう。ランボーたちは暗闇にまぎれて生き残ったボランティアのメンバーを救出するが、翌朝からは彼らを逃すまいと数百人規模の軍隊が追跡してくる。ランボーたちは無事にミャンマーから脱出できるのだろうか?
ミャンマーでは昨年(2007年)9月27日、民主化デモを取材していた日本人カメラマン長井健司さんが軍兵士に射殺されたことで、日本国内でも大きな関心を集めた。しかしミャンマーでは民主化運動の高揚以前から国軍による少数民族の武力弾圧が続いて内戦状態になっており、その中で最大の抵抗グループになっていたのがカレン族だった。今回の映画『ランボー/最後の戦場』は、まさにそのカレン族の村が舞台になっている。しかしランボーや傭兵たちは、国軍とカレン族反乱軍の戦いという大きな対立の中では部外者に過ぎない。彼らは「欧米人の目撃者」として、ミャンマー国軍によるカレン族虐殺の現場に遭遇し、不都合な目撃者を抹殺しようとする軍の追跡から逃れようとする。
監督・脚本のスタローンは、つい先だって『ロッキー』シリーズの最新作(おそらく最終作)として『ロッキー・ザ・ファイナル』を撮っている。原題は主人公の名前をそのまま取って『ROCKY BALBOA』。今回の『ランボー/最後の戦場』も、原題は主人公の名前そのままの『RAMBO』になっている。スタローンはこの2本の映画で、自分の当たり役である二人のキャラクターに引導を渡した。じつはこの2本、テーマは同じだ。男は自分のやるべき仕事をやって、家に帰るべし! 「家に帰れ」は今回の映画の中で、何度も繰り返されるキーワードになっている。
今回の映画はシリーズとしては初の日本国内R-15(15歳未満の鑑賞不可)指定になったのだが、それもやむを得まいと思わせる凄惨でリアルな暴力描写だ。しかもひどいことに、映画を観ているうちにその暴力性に頭が麻痺してくる。劇中で人間の手足がもぎ取られようが、頭が吹き飛ばされようが、胴体が上下に切断されようが、そこに肉体の痛みを感じなくなってくるのだ。しかしじつはこれこそが、作り手の狙いではないのか。映画の序盤には存在した肉体の痛みのリアリズムが、舞台をミャンマーに移した途端に消えてなくなる恐ろしさ。戦争という巨大な暴力の前で、人間の命などゴミクズ同然になってしまう。
平時の道徳は戦場で役にたたず、戦場の英雄は平時にはただのゴロツキ。ふたつの世界は決してひとつに統合されることがない。
(原題:Rambo)